ツーロン国際大会
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トゥーロン国際大会(トゥーロンこくさいたいかい、英語:Toulon Tournament)は、フランスで開催されるU-23世代のサッカーの国際大会。毎年5月末から6月頃にフランス南東部のヴァール県周辺で試合が行われ、決勝戦はトゥーロンで行われる。フランス語の正式名称はFestival International Espoirs de Toulon et du Varであり、日本ではトゥーロン国際トーナメントの表記も使用される。
目次

1 概要

1.1 日本代表の参加

1.1.1 史上初の決勝進出・準優勝



2 大会方式

3 歴代成績

4 脚注

5 関連項目

6 外部リンク

概要

1967年の第1回大会はクラブチーム6チームによって開催された。1974年の第2回大会ではクラブチームと代表チームの混合大会となり、1975年の第3回大会からフランスの招待した代表チーム8ヶ国(または10ヶ国)が参加して毎年行われる方式となり、1977年にはFIFA公認の大会となった。2007年大会まではU-21世代が対象だったが、2008年大会からU-23世代が対象となった。

大会はホスト国フランスを含めたユース(現在は上記U-23世代)のナショナルチームによる招待トーナメントであり、現在では欧州各国のスカウトが有望な若手選手を発掘する見本市的な意味合いの大会となっている。なお、優勝回数は開催国フランスの12回が最も多く、ブラジルの8回がそれに続く。歴代得点王にはジャン=ピエール・パパン(1985年)、アラン・シアラー(1991年)、マヌエル・ルイ・コスタ(1992年)、ヌーノ・ゴメス(1996年)、ティエリ・アンリ(1997年)、エミール・ヘスキー(1998年)、ジブリル・シセ(2001年)、ケヴァン・ガメイロ(2007年)、マルコ・ファビアン(2012年)などが名を連ねている。

2008年から日本のSBSカップ 国際ユースサッカーと友好大会となり、お互いにトロフィーを提供している。
日本代表の参加

日本2000年に初参加。2000年は全日本大学選抜が参加したが[1]2001年からはアンダー世代の日本代表が参加している[2]2002年には松井大輔山瀬功治阿部勇樹らの活躍で3位となり、中山悟志がアレッサンドロ・ペッリコーリ(イタリア語版)(イタリア)と共に3得点で得点王となった。2008年には本田圭佑岡崎慎司李忠成森本貴幸らを擁し、グループリーグでオランダや地元フランスを破って決勝トーナメントに進出。しかし準決勝でイタリアにPK戦の末敗れ、3位決定戦でもコートジボワールにPK戦で敗れている。
史上初の決勝進出・準優勝

2019年第47回大会にU-22日本代表が参加した際は、東京五輪世代の複数の選手が今大会直後にブラジルで開催されるコパ・アメリカ2019日本代表として臨むことが決定[3]し、この大会に出場するメンバー[4]は決して同世代の主力とされる選手が揃っているわけではなかった。そのような経緯の中でも、グループリーグ初戦では大会3連覇中のイングランドを大南拓磨長沼洋一の得点で逆転し、2-1で破る[5]と、続く第2節・U-22チリ戦では三笘薫の先制点を皮切りに、旗手怜央岩崎悠人が2得点ずつ挙げて前半だけで5-1と大量リード。後半には、更に旗手が得点を挙げてハットトリックを達成し、6-1で大勝した[6]。第3節・U-19ポルトガル戦では0-1で惜敗する[7]も、グループ首位で11年ぶりとなる準決勝に進出[8]。準決勝・U-22メキシコ戦ではメキシコに先制を許すも、71分に田中碧の放ったシュートがバーに当たり、跳ね返ったこぼれ球を相馬勇紀が押し込んで1-1の同点とした。試合終盤の86分に再び失点を許すが、直後の89分に小川航基が同点弾を挙げ、後半が終了。決勝進出はPK戦の結果に委ねられる。先攻のメキシコが4人目のキッカーで失敗するが、後攻の日本は小川・相馬・岩崎・長沼・旗手の順に全員がPKを成功[9]し、大会史上初めての決勝進出を決めた[10]


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