ツングースカ大爆発
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座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯60度55分 東経101度57分 / 北緯60.917度 東経101.950度 / 60.917; 101.950ツングースカ大爆発の位置(赤丸)クーリック探検隊による写真(1927年)。一方向に樹木がなぎ倒されている。

ツングースカ大爆発(ツングースカだいばくはつ、ロシア語: Тунгусский взрыв、英語: Tunguska explosion)は、1908年6月30日[1]7時2分(現地時間)頃、ロシア帝国領中央シベリアエニセイ川支流のポドカメンナヤ・ツングースカ川上流(現・ロシア連邦クラスノヤルスク地方)ヴァナヴァラ(英語版)北の上空で隕石[2]によって起こった爆発である。ツングースカ事件(Тунгусский феномен, Tunguska event)とも言われる[3]
概要

直径50 - 60メートルの隕石が大気中で爆発して強烈な空振が発生し、爆心地から半径約30 - 50キロメートルの森林が炎上、約2,150平方キロメートル(東京都とほぼ同じ面積)の範囲の樹木がなぎ倒された[4]ほか、1,000キロメートル離れた家の窓ガラスも割れた。爆発によって生じたキノコ雲は数百キロメートル離れた場所からも目撃され、イルクーツクでは衝撃による地震が観測された[5]。爆発した物質が気化して巨大な夜光雲を形成したため、アジアからヨーロッパにかけての広い範囲で爆発から数夜にわたって夜空が明るく輝き[1]ロンドンでは真夜中に人工灯火なしに新聞を読めるほどであった[6]

地面の破壊規模から見て、爆発した物体の大きさは当初3 - 70メートルと推定された[5]。爆発地点では地球表面にはほとんど存在しない元素のイリジウムが検出された。破壊力はTNT換算で3 - 30メガトンと考えられていたが、後に5メガトン程度と特定された[2]

居住地から離れたタイガの奥地であるため、人的被害は公的には確認されていないが、遊牧民のチュム(英語版)が吹き飛ばされるなどして死傷者が出たとする伝聞がある[7][8]。また非常に僻地であるため、猟師木こりなど発見されなかった犠牲者がいた可能性もある[9]
調査の歴史

爆発が起こったのは第一次世界大戦ロシア革命の数年前、かつ日露戦争を終えてまもない時期だったことから、ロシア国内の社会は非常に混乱しており、現地調査はしばらく行われなかった。

初の現地調査は爆発から13年後、ソビエト連邦成立後の1921年に鉱物学者レオニード・クーリックを中心とするソ連科学アカデミー調査団によって行われた。クーリックはツングースらから聞き取り調査を行い、落下する火球が目撃され、衝撃音は20数回続いたことを確認した。イノケンチー・スースロフも1927年に聞き込み調査を行い、当時森林で山火事が発生したことを報告している。その後、クーリックは4度の探検を行った。
1927年 - 助手G・P・ギューリッヒとともに、大規模な倒木地帯の中心を発見する。

1928年 - 狩猟学者、動物学者、作家のV・A・スイチンと共に、スースロフの漏斗(爆心地付近の凹地)の磁気を測定するが、鉄隕石が落ちた証拠は見つからなかった。

1929年 - 天文学者のE・L・クリノフとともに、スースロフの漏斗を排水して調査するが、隕石の破片は見つからなかった。

1939年 - ユージノエ沼の調査。

1940年 - ユージノエ沼の調査を行う予定だったが中止。

クーリックは「落下した天体は隕石である」と考えていたが、4回の探検ではクレーター(隕石孔)や隕石の破片など隕石落下説を裏付ける証拠は発見できなかった。

1946年にはロシアのSF作家アレクサンドル・カザンツェフ(英語版)が「爆発は地球に墜落した異星人宇宙船に積まれた核爆弾によるものである」という内容の小説「爆発」を発表した。これを受け、トムスク大学の研究員などを中心とした総合自主探検隊 (KSE) が結成される。後にKSEは現地で数回の残留放射能の測定を行うが検出されず、カザンツェフの説は否定された。

1960年代に入ると本格的な探検調査が行われるようになった。倒木の倒れている向きなどの綿密な地図が作られたことで、爆心地や爆発力、入射角、爆発時の速度などが推測された[10]

また1999年には、イタリアの科学者チームが爆心地と想定される地点から約8キロメートル北にあるチェコ湖の調査を行い、衝撃等の痕跡から、同湖の成因がこの爆発によるものであることを証明したと主張しているが[11]、異論や反論もある。

2007年には米サンディア国立研究所の研究チームが、スーパーコンピュータを使った解析による検討を発表した。解析によると、隕石自体は従来考えられたサイズより小型であり、広範囲の被害は大気中でのエアバーストが原因とされた[2]

2013年にはウクライナ、ドイツ、米国の科学者のグループが、当時の泥炭の地層より、隕石を構成していたとみられる鉱物を検出した。これによって爆発の原因は隕石であることが特定された。発見されたものはいずれも炭素元素鉱物であるロンズデーライトダイヤモンド石墨の混合物で、ロンズデーライトの結晶中にはトロイリ鉱テーナイトも含有されていた。ロンズデーライト、トロイリ鉱、テーナイトは地球上にはほとんど存在しない鉱物であり、これらは隕石が落下したことを証明するには十分な証拠である[12]。また、隕石の空中爆発の再現実験により、ツングースカ事件の被害が説明できることが示されている[13]
爆発跡の様子

爆発の衝撃波と斜めに高速移動した衝撃波とが合成された衝撃波によって、爆発の跡はを広げたのような形をしている。そのため爆発跡の形はツングースカ・バタフライと呼ばれている。また落下地点の周辺で、樹木や昆虫の生育に異常が見られた。具体的には、成長の停止、逆に異常な速度の成長、新種の出現などである[14]

爆心地付近に、スースロフの漏斗と名づけられた凹地がある。レオニード・クーリックは衝突クレーターと考え、I.M.スースロフにちなんで名づけたが、実際は氷雪地形の一種のサーモカルストである。
爆発の原因として推定された説

クレーター(隕石孔)が形成されず、隕石の残片などが長く発見されなかったため、過去には下記のような説が唱えられた。
彗星・小惑星爆発説
爆発の規模から地球に落下した
質量約10万トン・直径50 - 100メートルの天体が地表から6 - 8キロメートル上空で爆発、跡形なく四散したとされる。落下した天体の正体については諸説あるが、ケイ酸塩鉱物を含むといわれ[15]、小型の彗星小惑星が有力視されていた。なお、隕石の落下については当然見つかるはずの鉄片や岩石片を発見できなかったため、可能性は低いと見られていた[14]
ガス噴出説
2008年7月に、ボン大学の物理学者ヴォルフガング・クント(ドイツ語版)は彗星や小惑星を原因としない新説として、地表の奥深くにたまった、メタンを多く含むガス1,000万トンが地上に噴出したという説を発表した[5]


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