ツチノコ(槌の子)は、日本に生息すると言い伝えられている未確認動物(UMA)のひとつ。横槌に似た形態の、胴が太いヘビと形容される。北海道と南西諸島を除く日本全国で“目撃例”があるとされる。 ツチノコという名称は元々京都府、三重県、奈良県、四国北部などで用いられていた方言であった。わら打ち仕事や砧(布を柔らかくするために、槌で打つ作業)の際に用いる叩き道具「横槌」に、この生物の形状が似ている、とされることにちなむ。東北地方ではバチヘビとも呼ばれ、ほかにもノヅチ、タテクリカエシ、ツチンボ、ツチヘビ、土転びなど日本全国で約40種の呼称があり、ノヅチと土転びは別の妖怪として独立している例もある。
目撃談などによる特徴井出道貞『信濃奇勝録』(1834年脱稿1886年出版)に描かれた「野槌」。下記の翠山の画とともに、最も古いツチノコの図像といわれる。畔田翠山『野山草木通志』に描かれた「野槌」
普通のヘビと比べて、胴の中央部が膨れている[1]。
通常のヘビには瞼がないが、ツチノコは瞼がある。
2メートルほどの跳躍力を持つ[2]。高さ5メートル、前方2メートル以上との説や[3]、10メートルとの説もある[4]。
日本酒が好き[3]。
「チー」などと鳴き声をあげる[3]。
メスの歯はすきっ歯である。
非常に素早い[5]。
高くジャンプする、シャクトリムシのように体を屈伸させて進む[3]、丸太のように横に転がる、尾をくわえて体を輪にして転がる、傾斜を登る時は胴体の前部を支点に後部を左右に移動させながら登る、などの手段で移動する[2]。
いびきをかく[5]。
味噌、スルメ、頭髪を焼く臭いが好きなヘビである。[3]。
猛毒を持っているとされることもある[1]。
名前
歴史
現代以前『和漢三才図会』の「野槌蛇」(1712年ごろ)『今昔画図続百鬼』の「野槌」(鳥山石燕, 1779年)横槌。この道具に姿が似ているから「ツチノコ」とされる
縄文時代の石器にツチノコに酷似する蛇型の石器がある(岐阜県飛騨縄文遺跡出土)。また、長野県で出土した縄文土器の壺の縁にも、ツチノコらしき姿が描かれている。
奈良時代の『古事記』、『日本書紀』にはカヤノヒメ神の別名であり野の神、主と書かれてある。
1712年、寺島良安が記した『和漢三才図会』第四十五巻 竜蛇類に「野槌蛇」の名称でツチノコの解説がある[6]。「(一つ手前の項目に記された)合木蛇の仲間で、深い山奥に棲む。頭と尾は均等で尾は尖らず、柯の無い槌に似ている為俗に野槌と呼ばれる。吉野山中の菜摘川の清明の滝の周辺に往往見られる。口は大きく人の脚を噛む。坂を下り走ると甚だ速く人を追う。但し登りは極めて遅い為、これに出会ったら急いで高い處に登るべし。追い付かれる事は無い」。
1799年、加賀国江沼郡(現・石川県加賀市周辺)の怪談を集めた『聖城怪談録』には、瓜生傳という人物による「つちのこ」の目撃談が所収されている[7]。「黒く丸く壱尺四五寸ばかりもあるべきと思ふものころころとして行たり」と描写されている。
1886年、井出道貞が『信濃奇勝録』に「野槌 のつち 漢名 千歳蝮」を記す[8]。「八月の頃たまたま出る。坂道は転がって進む。人に害を成さない。和漢三才図会の説明とは異なる」と書き留めている。
現代
1972年、作家の田辺聖子が、ツチノコ捕獲に情熱を燃やす作家山本素石をモデルとした人物が登場する小説『すべってころんで』を朝日新聞夕刊に連載。翌年にはNHKでドラマ化され、ツチノコの名が全国的に知れ渡ることとなった[3][9]。