ツタンカーメン
Tut ankh Amun[注釈 1],
Tut ankh Aten(生名)[注釈 2]
ツタンカーメンの黄金のマスク
古代エジプト ファラオ
統治期間紀元前1332年?1323年[注釈 3],第18王朝
共同統治者ネフェルティティ(ネフェルネフェルウアトン)?[7]
前王スメンクカーラー
次王アイ
ファラオ名 (五重称号)
ホルス名: Ka nakht tut mesut[3]
翻字: kA-nxt twt-mswt
翻訳: The strong bull, pleasing of birth
注: (発音)カア ナクト トゥト メスウト
ネブティ名(二女神名): Nefer hepu segereh tawy[3]
翻字: nfr-hp.w s.grH-tA.wy
翻訳: One of perfect laws, who pacifies the Two Lands
注: (発音)ネフェル へプウ セゲレフ タアウィ
黄金のホルス名: Wetjes khau sehotep netjeru[3]
翻字: wTs-xa.w s.Htp-nTrw
翻訳: Elevated of appearances who satisfied the gods
注: (発音)ウェチェス カアウ セホテプ ネチェルウ
即位名: Neb kheperu Ra[3]
翻字: nb-xpr.w-ra
翻訳: Lord is the manifestations of Ra
注: (発音)ネブ ケペルウ ラー
誕生名: Tut ankh Amun[3][注釈 4]
翻字: twt-anx-imn
翻訳: The living image of Amun
注: (発音)トゥト アンク アメン
誕生名 (2): Tut ankh Aten[3]
翻字: twt-anx-itn
翻訳: The living image of Aten[注釈 6]
注: (発音)トゥト アンク アテン
誕生時の名前
配偶者アンケセナーメン
子女2人(胎児),317aと317b
父アクエンアテン
母第35号墓(KV35)の若い方の淑女(アメンホテプ4世の同父同母の姉妹)
出生1341 B.C.
死去1323 B.C.(享年18 / 19歳ほど)[注釈 7]
埋葬地KV62
ツタンカーメン(翻字: twt-anx-imn, エジプト語英語化: Tutankhamun[4][11], Tutankhamen, King Tut, 紀元前1341年頃 - 紀元前1323年頃)は、古代エジプト第18王朝のファラオ(在位:紀元前1332年頃 - 紀元前1323年頃)。より厳密な表記では、トゥトアンクアメン[1][4][5]。
エジプト新王国時代、第18王朝末期の最後の直系王族である[12]。若くして亡くなった悲劇の少年王として、また副葬品などがほとんど完全な形で発見された王として、エジプトのファラオの中で最も人々に親しまれている[2]。
ツタンカーメンは在位期間が10年弱で、また後世の王名表などから名前が削除されていたため、人々にほとんど知られていなかった[13]。しかし、1922年にハワード・カーターが、彼のパトロンであるカーナヴォン伯ジョージ・ハーバートによる資金援助で行われた発掘調査で、ほぼ無傷なツタンカーメンの墓を発見し、世界中の注目を浴びたことで非常に有名になった[2][14]。5,000点以上の遺物[15][注釈 8]が出土したことで古代エジプトへの関心が再び高まり、現在カイロ博物館に所蔵されているツタンカーメンのマスクは、今でも同館のシンボルの一つとなっている。また、ツタンカーメンのミイラの発見に関わった数人の人物の突然の死は、ファラオの呪いのせいだとする噂がまことしやかにささやかれた[17]。
ツタンカーメンの副葬品は、1961年以降、ヨーロッパや北米、オーストラリアなどの美術館に貸し出し展示されている[18]。日本では1965年に東京国立博物館など、2012年には上野の森美術館などで展示された[19][20][21]。