ツェッペリン飛行船一覧
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ツェッペリン飛行船一覧(ツェッペリンひこうせんいちらん)は、1900年から1938年にかけて、ドイツのツェッペリン社によって建造されたすべての飛行船の一覧である。「ツェッペリン」は飛行船の代名詞化しているため、ツェッペリン社建造のもの以外にも「ツェッペリン」と呼ばれる硬式飛行船があるが、それらは対象外とする。

ドイツのフリードリヒスハーフェンに本拠を置いたツェッペリン社は、建造した飛行船に"Luftschiff Zeppelin"(ツェッペリン飛行船)の頭文字である「LZ」で始まる番号を振っていたが、それとは別に民間用のものにはしばしば固有の名前が与えられ、また軍用の飛行船には別個に「戦術番号(taktische Nummerierung)」が割り当てられた。

ドイツ陸軍は初期のツェッペリンを「Z I/II/・・・/XI/XII」のように呼んでいたが、第一次世界大戦中に「LZ」番号を使うように変更した。ただし生産数を秘匿するために30を加えた数字を用いた。

ドイツ海軍のツェッペリンは「L 1/2/・・・」という「L」で始まる番号で呼ばれた。

1997年以降、ツェッペリンNTという新しいタイプの飛行船が運航されているが、伝統的な意味でのツェッペリン飛行船ではないため、この一覧には含まないものとする。
第一次世界大戦前に建造されたツェッペリン

製造番号名称/戦術番号使用者初飛行備考画像
LZ1 試作1900年7月2日(L)3回の飛行でフランスの飛行船「ラ・フランス
」のスピード記録を破ったが、出資者の関心を得られなかったため1901年に解体された[1]
LZ2 試作1906年1月17日1905年11月30日、湖からの離水に失敗した。2回目の試みで初飛行に成功したが緊急着陸の際に修復不能な損害を受けた。[1] 
LZ3Z I試作/軍用1906年10月9日[1]1906年10月9日と翌10日に2時間、1907年に8時間飛行した[1]。修理後、1908年にLZ4の契約の一部としてドイツ陸軍に売却され、練習船として使用された。1913年廃棄。(D) 
LZ4 軍用(計画)1908年6月20日LZ3を含む契約の一部。1908年7月1日に12時間の飛行を行った。1908年8月4日に24時間の耐久飛行計画に挑んだ際、12時間経過後にエンジン修理のためにエヒテルディンゲン(Echterdingen)近郊に着陸したが、風が係留装置を壊したために破壊された。[1] en:Zeppelin#The First Generations参照。
LZ5Z II試作/陸軍1909年5月26日1910年、嵐によりヴァイルブルク(Weilburg)付近に墜落(D) 
LZ6 試作/民間(DELAG)1909年8月25日(L)DELAG(ドイツ飛行船運輸、Deutsche Luftschiffahrts-Aktiengesellschaft)の最初の飛行船。初めての無線通信の実験を行った。1910年、バーデン=オース(Baden-Oos)格納庫内の事故で破壊(D) 
LZ7ドイッチュラント民間(DELAG)1910年6月19日1910年6月28日、トイトブルクの森の上空で事故に遭い、修理不能の損害を受けた。(D)
LZ8ドイッチュラントII 代船民間(DELAG)1911年3月30日1911年5月16日、強風により格納庫の壁に押しつけられ、修理不能の損害を受けた。(D) 
LZ9Z II 代船陸軍1911年10月2日(L)1914年8月1日に廃棄(D) 
LZ10シュヴァーベン民間(DELAG)1911年6月26日(D)224回の運行で27,321kmを飛び、4,354人の乗客を運んだ。1912年6月28日にデュッセルドルフ飛行場で事故により破壊(D)
LZ11ヴィクトリア・ルイーゼ民間(DELAG)/軍用1912年2月19日489回の運行で54,312kmを飛行し、9,783人の乗客を運んだ、第一次世界大戦勃発によりドイツ軍に練習船として買収された。1915年10月1日[2]、格納作業中に破壊。(D)
LZ12Z III陸軍1912年4月25日1914年8月1日に廃棄(D)
LZ13ハンザ民間(DELAG)/軍用1912年7月30日399回の運行で44,437kmを飛行した。1912年9月19日、ツェッペリン伯の指揮によって初めてデンマークスウェーデンを訪問した。これがドイツ国外への初の定期飛行であった[3]。第一次世界大戦勃発とともに軍によって買収され、1916年夏に退役した。(D)
LZ14L 1海軍1912年10月7日(L)1913年9月9日、嵐により北海に墜落し、乗員14名が溺死した。(ツェッペリン初の死亡事故)(D) 
LZ15Z I 代船陸軍1913年1月16日1913年3月19日、不時着により破壊(D) 
LZ16Z IV陸軍1913年3月14日1913年4月3日、深い霧の中、誤ってフランス国境を越え1日の間リュネヴィル(Luneville)に留まった。第一次世界大戦では数回の偵察とワルシャワおよびエウク(リュック)の爆撃に従事した。1915年から練習船として使われ、1916年の秋に退役した(D)。
LZ17ザクセン民間/軍用1913年5月3日419回の運行で39,919km飛行し、9,837人の乗客を運んだ。1914年の第一次世界大戦勃発とともに軍によって買収された。エルンスト・レーマンの最初の指揮船であり、1916年の秋に爆撃架と、改良された無線室と一体化した投下指揮所を装着して、船室の下部と尾翼の上に機銃手を配置していた[4]。最初のアントワープ爆撃においては1,800ポンドの爆弾を搭載して12時間の飛行を行った[5]。1916年秋に退役した。(D) 
LZ18L 2海軍1913年9月9日1913年10月17日、試験飛行中のエンジン爆発により破壊。乗員全員が死亡した。(D)
LZ19Z I 代船(2代)陸軍1913年6月6日1914年6月13日、雷雨により修理不能な損害を受けた。(D) 
LZ20Z V陸軍1913年7月8日第一次世界大戦中、ポーランド西部の偵察に従事。タンネンベルクの戦いの中のムワーヴァ(M?awa)攻撃において不時着。乗員は船を焼却しようとしているところを敵騎兵によって捕虜となった。(D) 
LZ21Z VI陸軍1913年11月10日第一次世界大戦では主にベルギーの爆撃に使われた。1914年8月6日、リエージュ(Liege)爆撃の際、爆弾の代わりに砲弾を投下したが、重量オーバーとなり、高度を上げられなかったため、対空砲火の弾丸や弾片に船体を貫かれた。船はケルンへ慎重に引き返したが、ついにボン近郊の森林に墜落し、完全に破壊された。[4] 
LZ22Z VII陸軍1914年1月8日1914年8月21日、アルザスのヴォージュ山の周辺のフランス軍を発見し、基地を爆撃する任務を帯びて発進した。雲から抜け出たとき、高度があまりに低く、かつフランス軍主力の真上であったため、フランス歩兵の射撃により気嚢が被弾した。そのため重大なガス漏れが生じ、ロレーヌ(Lorraine)県のサン・キリン(St. Quirin)付近に不時着を余儀なくされた。[4] 
LZ23Z VIII陸軍1914年5月11日1914年8月21日、Z VIIと同じ命令の下、フランス軍とその上空数百フィートで交戦し、レーマンによれば「何千もの弾丸とその破片」を受けた。その結果として漂流し、バンドンヴィラーズ(Bandonvillers)付近の荒れ地に不時着するに至った。乗員はすべての文書を破棄し、残骸を燃やそうとしたが、すでにガスはほとんど残っておらず、焼却はできなかった。[4] 
LZ24L 3海軍1914年5月11日北海上空での偵察任務を24回実施したあと、1915年1月19日に初めてイングランド空襲に参加した。1915年2月17日に、強い向かい風とエンジン故障、それに燃料不足が重なってデンマークに不時着し、乗員に放棄された。無人の飛行船は強風によって海上に吹き飛ばされた。[6] 
LZ25Z IX陸軍1914年7月13日北フランスの偵察および爆撃に使用された。1914年10月8日、イギリス爆撃機の投下した爆弾がデュッセルドルフにあった格納庫の屋根を破り、破壊された。イギリス爆撃機は単座のソッピース・タブロイドで、イギリス海軍航空隊のレジナルド・マリックス大尉(後に空軍少将)が操縦していた。マリックスはアントワープから発進しており、これは飛行機による初めての戦略爆撃となった。 

《凡例》

(D) - ドイツ語版のde:Zeppelinから翻訳されたものの概要。

(L) - ルーガー(1904)[7]による。

第一次世界大戦中に建造されたツェッペリン

(すべて軍用)

製造番号戦術番号初飛行備考
LZ26Z XII(Z12)1914年
12月14日北フランスおよび東部戦線で11回の出撃を行い、20,000kgの爆弾を投下した。1915年の夏までにおよそ9トンの爆弾をワルシャワペトログラードを結ぶ鉄道の幹線と、マルキン(Malkin)およびビャウィストクの駅に投下した。1回の爆撃に使用する爆弾は3トンであった。1917年8月8日に退役した。
LZ27L 41914年8月18日北海の偵察任務を11回行ったあと1915年1月20日、イングランドへの初の爆撃に出撃した。1915年2月17日、嵐のためにBlavandshukに不時着し、乗員は捕虜となり、4名が行方不明となった。
LZ28L 51914年9月22日北海とバルト海に47回の偵察任務を行い、特に敵の機雷発見に役立つということを証明した。攻撃任務も2回行い、700kgの爆弾を投下した。


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