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竣工当時の「ツェサレーヴィチ」
艦歴
発注ラ・セーヌ造船所
起工1899年7月8日
進水1901年2月23日
就役1903年8月
除籍1918年
その後1922年解体処分
前級レトヴィザン
後級ボロジノ級
性能諸元
排水量常備:13,100トン
全長118.5m
水線長117.3m
全幅23.2m
吃水常備:7.6m
満載:7.92m
機関ベルヴィール式石炭専焼水管缶20基
+直立型3段膨張式4気筒レシプロ機関2基2軸推進
最大出力16,500馬力
最大速力18.7ノット
航続性能10ノット/5,500海里
18ノット/1,000海里
燃料石炭:800トン(常備)、1,350トン(満載)
乗員士官:28名
水兵:738名
兵装Pattern 1895 30.5cm(40口径)連装砲2基
Pattern 1892 15.2cm(45口径)連装速射砲6基
Pattern 1892 7.5cm(50口径)単装速射砲20基
オチキス 4.7cm(43.5口径)単装機砲20基
オチキス 3.7cm(23口径)5連装回転式機砲8基
マキシム 7.62mm単装機銃4丁
パラノフシキー 6.35cm(19口径)野砲2基
38.1cm水中魚雷発射管単装2基、同水上魚雷発射管単装2基
衝角
装甲(クルップ鋼)舷側:250mm(水線中央部)、200mm(船首楼側面部)170mm(水線下部)、180mm(艦首部)、170mm(艦尾部)、40(20+20)mm(水密隔壁)
甲板:50mm(主甲板)、63mm(主甲板傾斜部)、40mm(下甲板)
主砲塔:250mm(前盾・側盾)、63mm(天蓋)
主砲バーベット:250mm(最厚部)
副砲塔:150mm(前盾・側盾)、30mm(天蓋)
副砲バーベット:127mm(最厚部)
司令塔:254mm(前盾・側盾)、63mm(天蓋)
ツェサレーヴィチ[1](露: Цесаревичツィサリェーヴィチュ)は、フランスで建造されたロシア帝国の前弩級戦艦である。艦名「ツェサレーヴィチ」は、ロシア皇帝の世襲皇太子の称号。 本級の計画直前、大日本帝国海軍が相次いで12インチ砲戦艦を購入していたことから、ロシア帝国海軍は対抗策を必要としていた。太平洋艦隊向けに建造した10インチ砲戦艦「ペレスヴェート級」では力不足との判断から、1898年にロシア海軍初の12インチ砲を持つ新型戦艦2隻が外国に発注された。これがアメリカのクランプ造船所(William Cramp and Sons)で建造された「レトヴィザン」と、フランスのラ・セーヌ造船所で建造された本艦である。設計者はフランスの造船士官、アントワーヌ・ジャン・ アマブル・ラガヌである。ツェサレーヴィチはボロジノ級戦艦の原型となった。 本級の船体形状は乾舷の高い長船首楼型船体であるが、同時期のフランス戦艦と同じく水線部から上部は強く引き絞られた特徴的なタンブル・ホーム型船体となっている。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では同時期のドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦などに多く採用された艦形である。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線面から甲板に上るに従って甲板面積は小さくなる傾向にある。これは、舷側に配された備砲の射界を船体で狭めずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。さらに本艦は世界で初めて対魚雷用の装甲隔壁を持った船であることが特筆される[要出典]。 水線下に衝角(ラム)を持つ垂直に切り立った艦首から艦首甲板上に円筒形の30.5cm連装主砲塔が1基、その背後に司令塔を組み込んだ艦橋からミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm?47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦に多く用いられた様式であった。ツェサレーヴィチの艦橋周辺。副砲塔を避けるために艦船では珍しいガントリークレーンを採用していた。
建造経緯
艦形1904年に艦首から撮影された「ツェサレーヴィチ」。強く上方に引き絞られた船体がよくわかる写真。