ツァールスコエ・セロー
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近代の町については「プーシキン (町)」をご覧ください。
エカテリーナ宮殿と庭園

ツァールスコエ・セロー (ロシア語:Ца?рское Село?)は、サンクトペテルブルク中心区の南方24kmほどの位置にあるロシア皇帝の離宮エカテリーナ宮殿などが集まる避暑地。かつてはプーシキン市だったが、現在はサンクトペテルブルク市プーシキン区となっている。サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群の一つとして、世界遺産にも登録されている。
歴史

17世紀、この地はスウェーデン貴族のものであった。元のフィンランド語名は、よく"a higher ground"と訳されていた。これに反して、Max Vasmerはフィンランド語の地名より、地名は"saari"であるとした。とにかく、フィンランド語の名は、18世紀のロシア人に"Sarskoye Selo"と発音され、後に"Tsarskoye Selo"(皇帝の町)へと変化した。

1708年、ピョートル1世は、妻で後の女帝となるエカチェリーナ1世に、贈り物として屋敷を与えた。彼女はここに、生神女福音教会(ブラゴヴェシチェンスカヤ・ツェールコヒ、ロシア語: Благовещенская церковь)を1724年に建て、名をブラゴヴェシチェンスコエ(ロシア語: Благовещенское)へ変えた。しかし時の流れで、すぐに使われなくなった[1][2]

エカチェリーナ1世はこの地を皇帝の住まいとするための開発を始めた。彼女の娘であるエリザヴェータと建築技師のバルトロメオ・ラストレッリ は広くエカテリーナ宮殿の建設に責任を持った。後の女帝となったエカチェリーナ2世と建築技師のチャールズ・キャメロンは宮殿を、有名なCameron Galleryへと拡張した。 今では、バロック様式のCatherine Parkと隣接しているエカテリーナ宮殿と、Alexander Parkに隣接する新古典主義のアレクサンドロフスキー宮殿という2つの宮殿がある。エカテリーナ宮殿は、ダッチ・アドミラルティCreaking Pagoda、Chesme Column、Rumyantsev Obelisk、Marble Bridgeなどの建築物があり、フランス式庭園イギリス式庭園で囲まれている。Alexander Parkにはいくつかのシノワズリ様式の建築物があり、中国村となっている。

18世紀の終わりまでに、ツァールスコエ・セローは貴族の間で夏の住まいとして人気のある場所になった。エカチェリーナ2世が1770年にソフィア(ドイツ語でSophie)として建てた、ツァールスコエ・セローの南に護衛部隊は配置されていた。 スコットランドの建築家チャールズ・キャメロンにデザインされた、新古典主義の5つのドームで構成される昇天宮殿が この地域の重要な遺跡となっている。1808年にソフィアとツァールスコエ・セローは一つの町に統合された。キャメロン・ギャラリーにあるエカテリーナ宮殿の風景; Luigi Premazziによる水彩で描かれたツァールスコエ・セロー、1855年

1811年に、アレクサンドル1世ツァールスコエ・セロー・リツェイ(学習院)を、エカテリーナ宮殿の隣に開いた。 1817年に卒業した最初の生徒のなかには、アレクサンドル・プーシキンアレクサンドル・ゴルチャコフなどがいた。また、ミハイル・サルトィコフ=シチェドリンニコライ・ダニレフスキーもリツェイで学んでいる。

ツァールスコエ・セローの文学的伝統は、アンナ・アフマートヴァインノケンティー・アンネンスキーなどの偉大な詩人によって、20世紀まで続けられた。

ツァールスコエ・セローとサンクトペテルブルクの間には、ロシア初の鉄道が1837年に開業しており、プーシキン方面の列車のターミナルであるサンクトペテルブルクのヴィチェプスク駅(ベラルーシヴィチェプスクに由来)は帝政時代はツァールスコエ・セロー駅(Царскосельский вокзал)と呼ばれていた。鉄道ができたものの、町は19世紀の工業化に消えてしまった。これは1917年に置かれた政府のラジオ局によって知られている。この年の春、ニコライ2世は彼のお気に入りの宮殿であるアレクサンドロフスキー宮殿に軟禁された。

1918年、町はBolsheviksからヂェーツコエ・セロー(Детское Село、子供の町の意)へと改められ、1937年にはアレクサンドル・プーシキンの死後100年を記念してプーシキン(Пушкин)へと改められた。


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