ツァラトゥストラはかく語りき
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この項目では、フリードリヒ・ニーチェの著書について説明しています。リヒャルト・シュトラウスの交響詩については「ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)」をご覧ください。

ツァラトゥストラはこう語った
Also sprach Zarathustra
初版(第1部)のタイトルページ
著者フリードリヒ・ニーチェ
訳者生田長江
発行日第1部-1883年6月
第2部と第3部-1884年4月
第4部-1885年2月
発行元第1部から第3部まで-エルンスト・シュマイツナー書店(Ernst Schmeitzner)
第4部-私家版
ジャンル哲学散文詩
ドイツ帝国
言語ドイツ語

ウィキポータル 哲学

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『ツァラトゥストラはこう語った』(ツァラトゥストラはこうかたった、Also sprach Zarathustra)は、1883年から1885年にかけて発表された、ドイツ哲学者フリードリヒ・ニーチェの後期思想を代表する著作。『ツァラトゥストラはかく語りき』、『ツァラトゥストラはかく語れり』、『ツァラトゥストラはこう言った』などとも訳される。全4部構成。
概要

ボン大学と、ライプツィヒ大学で、文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチェルの指導を受けたニーチェは、その能力を認められ、26歳(1870年)の若さで、バーゼル大学の古典文献学教授となった。しかし、健康上の理由から、35歳(1879年)で大学を退職、孤独な執筆生活に入ることとなり、持病の発作に悩まされながらも、1889年に発狂するまで、多くの著書を世に出した。その中でも本書は最も重要なものとされている。本書の最初のインスピレーションとなったのは、1881年の夏、ニーチェがエンガティン峡谷の小村シルス・マリアに滞在したときで、そのとき散歩中のニーチェは突然永劫回帰の思想の啓示を受けたのだった。その思想が熟成し『ツァラトゥストラはこう語った』という表現形式を得たのは2年後のことであった。

全4部構成。1883年2月にわずか10日間で第1部が執筆され、同年6月に出版。続いて、同年夏に2週間で第2部、翌1884年1月に10日間で第3部が執筆され、4月に第2部、第3部が合わせて出版されたが、ほとんど売れず反響もなかった。最後に1885年に第4部が執筆されたものの、これは引き受けてくれる出版社がなく私家版40部が印刷され、その一部が親戚や知り合いに配布されただけであった。

本書は、後期ニーチェの重要な哲学的研究のひとつであり、19世紀末期におけるヨーロッパの没落を背景としながら、キリスト教的な理想に代わる超人(Ubermensch)の思想が展開されている。
テキストの背景
文体の特性

本書は、近代において書かれた哲学研究としては、独特な文体を備えている。それは、哲学書というよりも、小説や神話のような文体であり、実際に文学においても影響を与えている。ツァラトゥストラは、時には対話し、自問自答し、また詩を歌うことを通じて哲学の議論を読者に示唆している。このような文体は、議論の一貫性を通じてその論理展開を読者が理解していくのではなく、その修辞的な表現を通じて常に読者に解釈を要求するものである。たとえば、本書で登場する人物は、ツァラトゥストラ以外には固有の名前が記されておらず、道化師、隠遁者、学者、背面世界論者などと呼ばれるだけである。彼らはどのような性格を持つ者たちであるかが描写されており、彼らが特定の個人ではなく思想史における議論そのものや、観念を擬人化したものであることが、寓話の形式で示唆される。この著作では、その意味で混合散文の文体に特徴付けられる。

「思想」、「哲学的叙事詩」などと呼ばれ、詩に分類されることもある[1]
ツァラトゥストラ

ニーチェの初期の思想におけるディオニュソス概念がツァラトゥストラに結実したこと、また永劫回帰の思想がはじめて本格的に展開されたことは、この書物の意義の一つである。ツァラトゥストラとは、ゾロアスター教の開祖の名前であるザラスシュトラ(ゾロアスター)をドイツ語読みしたものである。しかし、この著作の思想は、ザラスシュトラの思想とはあまり関係がない。ニーチェ自身が『この人を見よ』で解説した内容に拠れば、ニーチェがツァラトゥストラの名を用いた理由は、二つある。第一に、最初に善悪二元論を唱えたゾロアスターは、道徳についての経験を最も積んだ者であり、道徳の矛盾を最も知っているはずだという理由である。第二に、ゾロアスター教では「誠実」を重んじ、ニーチェの重んじる「真理への誠実さ」も持つはずだという理由である。この著作は、「神は死んだ」?Gott ist tot“など、それまでの価値観に対する挑発的な記述によって幕を開け、ツァラトゥストラの口を通じて超人永劫回帰の思想が論じられている。
内容

ツァラトゥストラを主人公とする物語の体裁をとっているが、大半はツァラトゥストラによる思想の吐露である。一連の物語において、ニーチェは神の死、超人、そして永劫回帰の思想を散文的な文体で論じている。

山に篭もって思想を養い、孤独を楽しんでいたツァラトゥストラは、神が死んだことを知覚し、絶対者がいなくなった世界で、超人思想を人々に教えようと山を下りる決意をする。だが、低俗な人々は耳を貸そうとしない。そこで、ツァラトゥストラは、自分の思想を理解する人を探し始め、従う弟子たちを得る。しかし「師に従うばかりではいけない」と結局弟子も棄ててしまう。あらたな思索の末、ツァラトゥストラは人々に対して自らの思想を語ることを控えることを決め、山に帰郷する。ツァラトゥストラは山中の洞窟で、何人かの特別に高等な人々と会い、彼らとの交流の中で歓喜する。最後には、ツァラトゥストラが再び山を降りることで、物語は締めくくられている。
第1部

ツァラトゥストラは30歳の時、故郷を去って山に入り、10年間孤独を楽しんでいた。ある日、登ってくる朝日を仰ぎ、その光のように自分の持てるものを分配し、与えるべきことを悟って、山を下り、民衆の中に「下りて」いく。その途中で1人の森の聖者に出会う。聖者はツァラトゥストラに人間たちのもとに下りていくのを思いとどまるように言う。彼は、聖者に自分はあなたのように仕えるべき「神」を持たないこと、自分は「人間を愛している」ことを告げて立ち去る。聖者と別れた後、ツァラトゥストラは、あの聖者はまだ神が死んだことを聞いていないのだ、という。彼は町の市場に立って、綱渡りの曲芸に浮かれている民衆たちに「超人」を説く。超人とは、神やその他の人間以外の原理に寄って、人間を克服するのではなく、人間自身の可能性に基づいて、現在の人間自身を克服するものである、と。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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