ツァイト
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この項目では、日本の企業について説明しています。

ドイツの新聞社については「ディー・ツァイト」をご覧ください。

タンジェリン・ドリームのアルバムについては「ツァイト (タンジェリン・ドリームのアルバム)」をご覧ください。

株式会社ツァイト種類株式会社
本社所在地 日本
151-0061
東京都渋谷区初台1-47-1
小田急西新宿ビル4F
設立1988年8月
業種情報・通信業
事業内容パーソナルコンピュータ用ソフトウェアの開発・販売
代表者山中潤
資本金1,000万円(1996年11月22日現在)
売上高5億5,000万円(1995年度)
従業員数25人(1996年11月22日現在)
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株式会社ツァイト(Zeit)は、かつて存在した日本のソフトウェアメーカー。
概要1980年代後半から1990年代前半の日本における代表的なグラフィックソフトウェア企業の一つであり、特に「Z's STAFF KiD98」は1990年代前半の当時の日本における標準的なホビイスト向けのお絵かきソフトの一つであった。元々はつげ義春の漫画『ねじ式』をゲーム化するためにつげ義春マニアが集まって設立された会社であり、1990年には漫画雑誌『ガロ』を発行する出版社の青林堂を買収し、「ねじ式」を始めとする『ガロ』掲載作品のゲーム化や映画化を行ったことでも知られた。主なソフトは、パソコン用グラフィックソフトウェア『Z's STAFF』シリーズ、ワープロソフト『Z's WORD JG』、アドベンチャーゲームねじ式』などがあり、また1994年には「ガロシネマ」として映画『オートバイ少女』を制作・配給した。シャープ・X68000やNEC・PC-98シリーズなど、国産パソコン向けのグラフィックソフトウェアの開発を主力にしており、日本で使われるパソコンがもっぱらNEC・PC-98、OSがMS-DOSであった1990年代前半の時点では良好な経営であったが、1990年代中頃より日本で急速に普及するWindows(1993年発売のWindows 3.1および1995年発売のWindows 95)への移行に遅れ、同時期にツァイト製品の1/3くらいの価格で日本に入って来たWindows対応の安価な海外製グラフィックソフトとの価格競争に敗れて経営が急激に悪化(ツァイトの山中社長によると、「一年程度で環境が激変してしまった」とのこと[1])。同時期にツァイトの山中社長は、青林堂の版権を利用した映画製作や、『ガロ』のデジタル化などを推進しており、本業を疎かにして『ガロ』の方針に関与する山中社長に対して、『ガロ』編集部が不信感を持ち始める。1996年後半よりソフトウェアの売り上げが落ちていたという[2]。さらに、ツァイト本体の経営悪化によって青林堂が手に負えなくなった山中社長が、外部の人間に青林堂の経営を委任するに至って、その人物を「ヤクザ」と認識したガロ編集部員が1997年7月に一斉退職し、その経緯をマスコミに配布するという「クーデター」が発生する。その後始末をツァイトがする最中に不渡りを出し、1997年7月に倒産した。ツァイトの倒産後、ソフトウェアの版権は「Z's STAFF KID」の版権のみアスキーサムシンググッドが取得し、その他のソフトウェアの版権は不明となった。また青林堂の版権は、クーデターで事の経緯が大きく新聞で報道されたことから、乗っ取り屋が手を引き[3]、最終的に蟹江幹彦が経営するCD-ROM制作会社の大和堂(『ガロ』の作家であるねこじる作品のCD-ROMを制作しており、当時の『ガロ』に広告を出稿していた)が取得した。
沿革

1984年マジカルズーのゲーム制作コンテストで出会った井上潤(現・山中潤)らつげ義春ファン3人でソフトハウス『有限会社ツァイト』を創立、山中潤が代表取締役に就任する。最初の製品・グラフィックツール「Funny」がアスキーのソフトウェア事業部長・古川享に気に入られ、アスキーから販売されることになったことで軌道に乗る。当時アスキーの本社があった初台にツァイトの本社を構える。

1985年、日本のグラフィックソフトの先駆けとなるZ'sSTAFFシリーズを開発、販売した。特に「Z'sSTAFF KID」シリーズは当時のPC-9800シリーズの標準的なグラフィックソフトのひとつであった。

1988年8月、株式会社ツァイト設立。

1989年つげ義春の『ねじ式』をゲーム化。

1990年、『月刊漫画ガロ』の版元である青林堂を子会社化、様々な企画を立ち上げサブカルチャー誌の色を強めるなど、低迷していたガロを一時的に持ち直すことに成功した。

1995年に発売されたWindows 95のブームによって日本でWindowsが急速に普及する中、ツァイトはWindows 95への移行が遅れ、1996年後半より業績が急激に悪化。

1997年3月、インターネット接続ソフト付き雑誌「デジタルガロ」を発売したが、赤字に終わる。この時期、山中の体調不良もあって、青林堂の内紛と分裂を招く。

1997年、7月7日付けで子会社の青林堂の全社員が退社。結局これが引き金になり、ツァイトは7月31日に2度目の不渡り手形を出して事業停止し、事実上倒産した。当時山中は既にツァイトを辞職していたが、倒産のリリースは山中社長名義で出された。

主なソフト

ソフトの販売はアスキー(1996年以降はアスキーサムシンググッド(のちのアイフォー))が担当した。ツァイトの倒産に際しては「KID」シリーズの版権のみがアスキーサムシンググッドに引き継がれ、Windows 95対応の後継製品が販売されたが、その他のソフトに関しては版権が不明となっている。
Z's STAFFZ's STAFFは、1985年より発売されていたグラフィックソフト。1980年代後半から1990年代前半にかけての日本における標準的なグラフィックソフトの一つであり、JGと並ぶツァイトの主力商品であった。PC-98シリーズ向けの「KiD」シリーズの名称でよく知られる。当初は、高機能なホビーパソコン向けの「Pro」版と、NEC PC-98シリーズ向けの「KiD」版が存在した。すなわち、富士通FM TOWNS向けの「Z's STAFF Pro TOWNS」、シャープX68000向けの「Z's STAFF Pro-68K」、NEC PC-8801VAシリーズ専用の「Z's STAFF Kid VA」、NEC PC-98向けの16色専用グラフィックソフト「Z'sSTAFF KiD98」が存在した。また、Sharp X1 turbo向けの「turbo Z's STAFF」と、Sharp X1 turboZ専用の「Z's STAFF-Z」も存在(数少ないX1 turboZ専用ソフトの一つ)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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