チーム国光
[Wikipedia|▼Menu]

株式会社チームクニミツ種類株式会社
本社所在地 日本
163-1126
東京都新宿区西新宿6丁目22番1号 新宿スクエアタワー26階
設立1992年
法人番号7011001059431
代表者代表取締役 小島一浩
外部リンク ⇒http://www.teamkunimitsu.net/
テンプレートを表示

TEAM KUNIMITSUSTANLEY NSX-GT(2022年参戦マシン)
国籍 日本
創設者高橋国光
チーム代表小島一浩
活動期間1992年 - 現在
カテゴリSUPER GTJGTCJTCC
チームズ
タイトルSUPER GT 2(2018, 2020
ドライバーズ
タイトルSUPER GT 2(2018, 2020)
公式サイト ⇒TEAM KUNIMITSU.NET
2024年のSUPER GT(GT500)
エントリー名STANLEY TEAM KUNIMITSU
レーサー 山本尚貴
牧野任祐
マシン100. STANLEY CIVIC TYPE R-GT
タイヤブリヂストン
テンプレートを表示

チーム国光(チームくにみつ、: TEAM KUNIMITSU)は、日本のレーシングチーム。設立は1992年で、正式商号は株式会社チームクニミツ(本社:東京都新宿区)。チーム創設者は元レーシングドライバーの高橋国光。当初はドライバー兼監督だったが、1999年にドライバーを引退し、翌2000年より監督に専念する。
全日本ツーリングカー選手権・N1耐久・スーパー耐久参戦歴

1992年、「チーム国光」名義で初参戦。スカイライン GT-R全日本ツーリングカー(JTCC)選手権へ。高橋国光土屋圭市のコンビ。チームタイサンがプロデュースし、ニスモがマネジメントする体制となった。翌年もこの体制で参戦継続。第2戦オートポリスで初優勝する。翌1994年はスプリントレース化されたため土屋のみの参戦、マシンはホンダ・シビックフェリオに変更された。JTCCには翌1995年まで参戦した。

1993年からN1耐久シリーズコカ・コーラのスポンサードを得て第2戦より参戦開始した。マシンはプレリュード、ドライバーは土屋圭市と飯田章(但し全日本ツーリングカー選手権第2戦と重なった第3戦鈴鹿のみ大井貴之/渡辺明で参戦)。第5戦十勝スピードウェイで優勝。1998年はインテグラタイプRで参戦。ドライバーは山野哲也と西翼での参戦だった。

年度車両ドライバー順位Point
1992年STP タイサンGT-R
(スカイラインGT-R)高橋国光
土屋圭市9位74pts
1993年11位59pts
1994年STP 圭市シビック
(シビック・フェリオ)土屋圭市16位20pts
1995年ADVAN 圭市シビック
(シビック・フェリオ)土屋圭市21位7pts

鈴鹿8時間耐久ロードレース参戦歴

1997年、「チーム国光・HSC」名義で初参戦。HRC(ホンダレーシング)からのサポートを受け、マシンはワークス仕様のRVF/RC45を使い、ライダーはHRC所属の幼馴染コンビ、加藤大治郎武田雄一で参戦した。ゼッケンに高橋国光ゆかりの100番を付け、往年のホンダ・ロードレーサー「RCカラー」で参戦した初年度の1997年は、台風第9号の影響で予選スペシャルステージが中止となった結果、金曜日に行われた計時予選で最速だった加藤がポールポジションを獲得したが、決勝では雨の影響で加藤が2度転倒し9位での完走となった。1998年はメインスポンサーにラッキーストライクが付いた以外は同じ体制で参戦したが、加藤のライディング中にチェーンが切れるトラブルが発生。この際のダメージが大きくリタイヤとなった。

年度車両ライダー予選順位決勝順位
1997年RVF/RC45加藤大治郎武田雄一PP9位
1998年4位リタイヤ

全日本GT選手権・SUPER GT参戦歴RAYBRIG HSV-010
(2011年参戦マシン)RAYBRIG NSX CONCEPT-GT
(2014年参戦マシン)RAYBRIG NSX-GT
(2020年参戦マシン)

初年度である1994年の第3戦からポルシェ・911で参戦を開始、参戦2戦目のSUGOラウンドで初勝利を挙げた。翌年もポルシェを走らせた後、1996年からNSXにマシンをチェンジしたが、この年は、それまで同チームやホンダがル・マン24時間レースで走らせていたマシンに小改造を施した程度のマシンであり、既にGTマシンとして純粋化されつつあったスープラGT-Rと言った国内勢のワークスマシンはもちろん、この年のJGTCを席巻したマクラーレン・F1相手にも歯が立たず、ランキング17位と低迷した。しかし、翌1997年にホンダがワークス参戦を開始するに当たって新型マシンの供給を受け、以来事実上のホンダワークスチームの1つとして活動し続けている。2010年からはHSV-010 GT、2014年からはNSX CONCEPT GT、2017年からはNSX-GTと、常に新型マシンの供給を受けて参戦している。

当初はADVAN(横浜ゴム)やBPがメインスポンサーであったが、1997年の第2戦からは、1996年のル・マン24時間レースにメインスポンサーであったスタンレー電気に変更され、同社のブランド「RAYBRIG(レイブリック)」を冠したマシンで参戦していた。

マシンメンテナンスは、ノバ・エンジニアリング(1994年?1995年)、シフト(1996年)、ムーンクラフト(1997年?2004年)、M-TEC(2005年?2016年)、オートテクニックジャパン(2017年?)が行っている。なお、ムーンクラフト担当期には同社の代表である由良拓也がチーム監督を1999年まで務めていた。

毎春開幕前のテストではカーボン地のボディーにその年のデザインが施されたPHASE仕様でテストを行うことがある。

参戦当初より一貫して使用しているカーナンバー「100」は、かつて高橋国光が二輪ロードレース世界選手権に参戦し、1961年にホッケンハイムで開催の西ドイツGP250ccクラスで日本人として初優勝した時のバイクナンバーにちなむ[1][2]。また、レーシングカーには97年、98年の鈴鹿8時間耐久ロードレースに高橋が名誉監督を務めたチーム国光・HSC、ラッキーストライク・HSCから参戦した加藤大治郎MotoGPにおける永久欠番となった加藤のゼッケン「74」が記されたステッカーを貼付している。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:31 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef