チーム・サクソバンク
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ティンコフ
Тинькофф
Tinkoff

チーム情報
UCIコードTNK
本拠地 ロシア
創設年1998年
解散年2016年
種目ロードレース
格付けUCIプロチーム
首脳陣
GMオレグ・ティンコフ
過去のチーム名
1998年–1999年
2000年
2001年–2002年
2003年–2008年
2008年
2009年-2010年
2011年
2012年
2013年
2014年-2015年
2016年チーム・ホーム - ジャック & ジョーンズ
チーム・メモリー・カード - ジャック & ジョーンズ
CSC - ティスカリ
チーム・CSC
チーム・CSC - サクソバンク
チーム・サクソバンク
チーム・サクソバンク - サンガード
チーム・サクソバンク
チーム・サクソ=ティンコフ
ティンコフ=サクソ
ティンコフ



 
ユニフォーム

ティンコフ(ロシア語: Тинькофф, ラテン文字転写: Tinkoff)はかつて国際自転車競技連合 (UCI) の主催するUCIプロツアーに参加していた自転車ロードレースのチームの一つ。ロシアにチームの拠点を置いていた。
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1996年ツール・ド・フランスの総合優勝者でもあるビャルヌ・リースが所有・運営するチーム「リース・サイクリング」が母体となっている。チーム創設は1999年。2001年からはアメリカカリフォルニア州エルセガンドに本部を置くコンピュータ関連企業であるコンピュータ・サイエンス・コーポレーション (en:Computer Sciences Corporation) が支援、2003年から2008年にかけてCSCは冠スポンサーとなり、チーム名称は「チームCSC」となった。

しかしCSCの本業での長期投資計画の見直しに伴い、2008年シーズン終了後の契約満了を持ってスポンサーから撤退することを発表した。CSCは新スポンサーの確保についても協力する旨を表明[1]。2008年6月10日にリース・サイクリングはデンマークコペンハーゲン投資銀行サクソバンク」とスポンサー契約を新たに締結。この契約は即日発効し、リース・サイクリングは同日から2008年いっぱいは「チームCSCサクソバンク」として戦うこととなった[2]。サクソバンクは単独でのスポンサードに無関心で新たにITファクトリーという共同スポンサーを迎え2009年からは「チームサクソバンク-IT ファクトリー」という名前で活動を開始する予定であったが2008年12月にITファクトリーが破産[3]。結局、サクソバンクの単独スポンサーで「チーム・サクソバンク」として活動を始めている。

2010年8月3日、ビャルヌ・リース監督がデンマーク・コペンハーゲンで記者会見を開き、サクソバンクの引き続きのスポンサード及びアメリカのソフトウェア会社サンガード社のスポンサーを得て来シーズンもプロツアーに参戦することを発表し、サクソバンク・サンガード・プロフェッショナル・サイクリングチームとして活動することが発表された。これと共にアルベルト・コンタドールの獲得も発表された。

2012年シーズンは、前年シーズン限りでサンガードが撤退したことを受け、再び「チーム・サクソバンク」として活動をスタート。同年シーズンより宮澤崇史が加入した。2005年シーズンよりUCIプロチームが制度化されて以降、日本国籍選手として史上3人目となるUCIプロチーム在籍選手となった。同年6月にはロシアの投資銀行「ティンコフバンク」(Tinkoff Bank)がサブスポンサーに付き、チーム名も「チーム・サクソバンク-ティンコフバンク」(Team Saxo Bank-Tinkoff Bank)に変更された。

2014年シーズンより、ロシアの実業家オレグ・ティンコフが、ビャルネ・リースからチーム(リースサイクリング)を買収し、チーム名が「ティンコフ=サクソ」に変更された[4]。それに伴い、チームのメーンスポンサーはティンコフクレジットシステム社、セカンドスポンサーがサクソバンク社となった。

2016年シーズンより、サクソバンク社がスポンサーから撤退し、チーム名は「ティンコフ」となった。しかし同年限りで解散した。
チーム成績

2005年から施行されているUCIプロツアーでは2年連続総合のチーム優勝に輝きこの結果はチーム力の高さを証明している。

2006年にはイヴァン・バッソを擁してジロ・デ・イタリアを制しているが、その後バッソはオペラシオン・プエルトに巻き込まれてチームを離脱。

2007年はグランツールでの勝利こそないもののツール・ド・フランスのステージ優勝やブエルタ・ア・エスパーニャ個人総合2位の選手を輩出するなどの実績を上げている。

2008年にはファビアン・カンチェラーラが春先のティレーノ?アドリアティコミラノ?サンレモをいずれも総合優勝。ジロ・デ・イタリアではイェンス・フォイクトがステージ1勝。ツール・ド・フランスにはカルロス・サストレとシュレク兄弟という3人の一流クライマーをフォイクト、カンチェラーラ、オグレディらで守るという強力な布陣で挑み、後半のアルプスステージでフランク・シュレクがマイヨジョーヌを得た後は抜群のチーム力でレースをコントロール。勝負がかかったラルプ・デュエズ山頂ゴールの17ステージではマイヨジョーヌのフランク・シュレクを囮に使ってサストレが飛び出す作戦を採用して見事にタイム差を稼ぎ、カルロス・サストレによるツール・ド・フランス個人総合優勝を成し遂げる(アンディ・シュレクは新人賞獲得)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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