チリの競馬
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チリの競馬(チリのけいば)では、チリにおける競馬について記述する。
概要

他の南米主要競馬開催国と大きく異なり、2歳・3歳馬の短距離競走に特化している。3歳の一流馬はナシオナル三冠に挑むが、古馬になると一流馬は海外へ移籍するものが多い。

サンティアゴバルパライソといった首都圏に主要3団体があるほか、地方にも競馬場があるが、全国的な統一運営組織はなく、中央と地方の格差は大きい[1]
主要3団体

サンティアゴ馬事協会 - 首都サンティアゴにあり、南米でも古く伝統のある競馬場を持つ。芝競馬を行う。ナシオナル三冠の1戦目、エル・エンサーヨを開催する。

チリ競馬場協会 - サンティアゴにある。ダート小回りの競馬場で、ナシオナル三冠の2戦目、チリ・セントレジャーを開催する。

バルパライソ・スポーティングクラブ - 国民議会のある港町バルパライソにある。芝の平坦コース。ナシオナル三冠の最終戦、エルダービーを開催する。

歴史
ウマの起源

もともと南アメリカ大陸にはウマはいなかった。初めてウマを持ち込んだのはコロンブスで、アメリカ大陸を発見した時にはウマを連れていなかったが、2度めに渡米した時は種牡馬20頭と多くの繁殖牝馬を連れて行った。ウマは現地で原住民を怖がらせて支配するのに都合が良かったし、奴隷100人に値するほど高価だった。16世紀以降、ヨーロッパからアメリカへ向かう船はウマを乗せていくのが常となった[2]

チリでは1536年には少なくとも500頭から600頭のウマがいた。スペイン人はメキシコやペルーで競馬を行い、これが中央・南アメリカ各地へ広まったと考えられている。最初期にはペルーの競走馬がチリも含めた各地へ遠征していた[3]。古い時代に用いられた競走馬の品種は主にペルー産のコステーニャ種、アンダルシア馬のカバロ・チレノ種、ブラジル産のクリオロ種だった[4]
サラブレッド競馬

南米に最初にサラブレッドによる近代競馬が持ち込まれたのは1835年頃のことで、アメリカ公使がアメリカからサラブレッドを持込み、現地のチリ産馬の勝負を受けたのが始まりである。チリの競馬界の大物が挑み、大観衆の前でアメリカ公使は自ら騎乗したサラブレッドで楽勝してみせた。10年後にはオーストラリアからサラブレッド種牡馬が寄贈されたが、当時のチリの生産者は、伝統的なチリ産のウマの純粋生産を重んじたため、はじめはサラブレッドは根付かなかった[4]

まもなく港町バルパライソでバルパライソスポーティングクラブが組織され、イギリス風の競馬が行われるようになった。1882年に第1回のチリダービー(エルダービー)が開催され、すぐに成績書や血統書が整備された。また、同じ頃にサンティアゴでもサンティアゴ馬事協会が組織され、「エル・エンサーヨ」(主要競走参照)を開催した。これが後にチリ競馬の中核に発展した[5]。1903年には官民共同でチリ競馬協会が創立された。チリ国内の競馬は概ね、これら3団体によって行われている。
近年の動向

1961年に創設されたチリ大賞(グランプリ・デ・チリ)は3団体の持ち回りで開催された[5]が、現在は行われていない。1960年代にはアメリカの生産者の間で南米血統が流行し、チリからもアメリカへ向けて種牡馬が輸出された[4]

その後3団体の競走を経て、1990年代には、チリの競馬は主に2歳・3歳馬による短距離戦が主流になった。中長距離以上の競走は年に数えるほどしか行われない[6]

他の南米諸国の大レース、特に南米屈指の大レースであるアルゼンチンのカルロスペレグリーニ大賞を敬遠する傾向がある。その理由は、この競走が蒸し暑い夏に行われるためで、比較的気候が安定し避暑地となっているチリ競馬の関係者が厳しい暑さを回避するためである[7]
主要競走

年間を通して競馬が行われるが、南半球であるので、7月に加齢する。

アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル、ペルーと異なり、2・3歳の短距離戦に特化した独特の競走体系で、基本的に、上記3団体がそれぞれ独自のクラシック体系を有している。これらを勝ち抜いたものがナシオナル三冠に向かう。ナシオナル三冠戦は、3団体で1戦ずつ行われる。芝とダートが混在しているが、近年は競走馬の芝とダートそれぞれに特化する傾向があるため、三冠全てを制するのは困難とされている。過去に13頭の三冠馬が誕生している。これが終わると一流馬は海外へ移籍するものが多い[8]
ナシオナル三冠戦

エル・エンサーヨ (Premio El Ensayo)- G1。サンティアゴ馬事協会。芝2400メートル。1873年創設で国内最古。10月(南半球のチリでは春)に開催
[9]

チリ・セントレジャー (St. Leger)- G1。チリ競馬協会。ダート2200メートル。1886年創設。かつてはバルパライソスポーティングクラブが芝3000メートルで開催していたが、1969年にチリ競馬協会が開催権を買収し、ダート2400メートルで開催するようになった。その後距離が現在の2200メートルに短縮。12月(南半球のチリでは初夏)に開催[10]

エル・ダービー (El Derby)- G1。バルパライソスポーティングクラブ。


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