チュランディ・マルティナ
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チュランディ・マルティナ


選手情報
ラテン文字Churandy Martina
国籍 オランダ
種目短距離走
生年月日1984年7月3日
出身地オランダ領キュラソー
居住地 オランダ
身長180cm
体重76kg
60m6秒58(2010年)
100m

9秒91(2012年) 9秒76w(2006年)
200m19秒81(2016年)
400m46秒13(2007年)
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獲得メダル

チュランディ・マルティナ
オランダ
陸上競技
パンアメリカン競技大会
金2007 リオ・デ・ジャネイロ100m
中央アメリカ・カリブ海競技大会
金2006 カルタヘナ100m
金2006 カルタヘナ4×100mリレー
金2010 マヤグエス100m
金2010 マヤグエス200m
ヨーロッパ陸上競技選手権大会
2012 ヘルシンキ200m
金2012 ヘルシンキ4×100mリレー
2016 アムステルダム100m
銅2018 ベルリン4x100mリレー

チュランディ・マルティナ('Churandy Martina、1984年7月3日 - )は、オランダの男子陸上競技選手、専門は短距離走。2010年10月のオランダ領アンティル解体までは同所属。マルティナの自己記録は100mが2012年8月ロンドンオリンピック準決勝で記録した9秒91、200mが2016年8月ローザンヌで開催されたIAAFダイヤモンドリーグアスレティッシマで記録した19秒81であり、これらの記録はそれぞれオランダの国内記録である。身長178cm、体重74kg

100m追い風参考記録ながら9秒76も記録している。
経歴
2007年まで

マルティナは1984年キュラソー島に生まれた。1999年初めて国際大会となる世界ユース陸上競技選手権大会100mに出場し準決勝進出の成績を残した。2000年と2002年の世界ジュニア陸上競技選手権大会にも出場したが結果を残すことはできなかった。2002年ブラジルベレンで開催された南アメリカ競技大会100mにおいて優勝、これが初めて得た国際大会のタイトルとなった[1]

2003年に100mの自己記録を10秒29まで伸ばし、6月にセントジョージズで開催された中央アメリカ・カリブ海陸上競技選手権大会にオランダ領アンティル代表として出場した[2]。また8月のパンアメリカン競技大会100mにも出場し準決勝に進出した。8月24日には世界陸上競技選手権パリ大会100mにおいて初の世界選手権出場を果たしたが、モーリス・グリーンと同組の1次予選8組5着(10秒35)となり敗退した[3]

2004年8月アテネオリンピックにオランダ領アンティル選手団3人のうちの1人として、自身初のオリンピック出場を果たした。開会式では母国選手団の旗手を務めた。5月サントドミンゴで開催された競技会において自己記録を0秒16短縮する10秒13を記録するなど、2004年はマルティナにとって記録を大きく向上させた年となった[2]

2005年中央アメリカ・カリブ海陸上競技選手権大会では100mで3位に入り銅メダルを獲得したほか、4×100mリレーでオランダ領アンティルチームのアンカーとして銀メダルを獲得した。またチームはオランダ領アンティル記録を更新した[4][5]世界陸上競技選手権ヘルシンキ大会4×100mリレーではチームの決勝進出に貢献し、6位入賞の成績を残すとともに国内記録を38秒45に更新させた[6]。男子100mにも出場したがこちらは2次予選敗退の結果に終わった[2]

2006年4月、エルパソで開催された競技会において100mの自己記録を10秒04に更新した[2]。7月、中央アメリカ・カリブ海競技大会に出場し、100mでは10秒06の大会新記録を樹立して優勝した[7]。4×100mリレーでもチームを優勝へ導き、2つめの金メダルを獲得した。

2007年6月、マルティナはパンアメリカン競技大会100mで大会記録タイの10秒06を記録して優勝した[8]。8月、世界陸上競技選手権大阪大会では100m、200mともに決勝に進出し、いずれも5位の成績を残した。9月22日、IAAFワールドアスレチックファイナル100mに出場し6位となり、この年の競技を終えた[2]
2008年北京オリンピック

2008年8月、マルティナは北京オリンピック開会式で2度目の母国選手団旗手を務めた。100m2次予選では初めて10秒の壁を突破する9秒99を記録し、同種目のオランダ領アンティル記録を更新した。準決勝をアサファ・パウエルリチャード・トンプソンに次ぐ3着で通過し、この時同国国内記録を9秒94に短縮した。決勝ではウサイン・ボルト、トンプソン、ウォルター・ディックスに次ぐ4着。メダルに届かなかったものの決勝では9秒93の記録を残し、この大会で3度国内記録を更新する走りを残した[9]

2008年8月20日、マルティナは200m決勝で19秒82を記録してボルトに次ぐ2位に入った。これはオランダ領アンティル記録の更新、また1988年ソウルオリンピック男子セーリング競技銀メダリストジャン・ボーアスマ(en)以来となる同国2つめのオリンピックメダル獲得かと思われた。しかし、決勝の1時間後レーン侵害の違反があったとしてマルティナは失格とされた[10]。当初3位に入ったウォーレス・スピアモンが走行中に内側のレーンに侵入したとして、レース直後に失格となった。


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