チャールトン・ヘストン
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Charlton Heston
チャールトン・ヘストン
1953年宣伝写真
生年月日 (1923-10-04) 1923年10月4日
没年月日 (2008-04-05) 2008年4月5日(84歳没)
出生地 アメリカ合衆国
イリノイ州エヴァンストン
職業俳優
ジャンル映画テレビ
活動期間1950年 - 2008年
配偶者リディア・クラーク
著名な家族フレイザー・ヘストン(長男)
主な作品
十戒』(1956年)
黒い罠』(1958年)
ベン・ハー』(1959年)
エル・シド』(1961年)
猿の惑星』(1968年)

 受賞
アカデミー賞
主演男優賞
1959年ベン・ハー
ジーン・ハーショルト友愛賞
1977年
AFI賞
アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100(ヒーロー部門第43位)
2004年十戒
ゴールデングローブ賞
セシル・B・デミル賞
1966年
ゴールデンラズベリー賞
最低助演男優賞
2001年PLANET OF THE APES/猿の惑星
全米映画俳優組合賞
生涯功労賞
1971年
その他の賞

備考
全米ライフル協会会長(1998年 - 2003年
映画俳優組合代表(1965年 - 1971年
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チャールトン・ヘストン(Charlton Heston, 1923年10月4日 - 2008年4月5日)は、アメリカ合衆国イリノイ州エヴァンストン出身の俳優、社会運動家。身長191センチメートル。妻は女優のリディア・クラーク(英語版)、長男は映画監督のフレイザー・ヘストン(英語版)。
略歴

イリノイ州の中心部シカゴの北に隣接するエヴァンストンに生まれる。出生名はジョン・チャールズ・カーター(John Charles Carter)[1]。12歳の時に両親が離婚。母(旧姓チャールトン)が再婚し、義父の姓のヘストンを貰ってチャールトン・ヘストンと名乗るようになる。高校時代に学生劇に出演して演劇に興味を抱き、奨学金を得て、ノースウェスタン大学に進学し演劇部で活躍。1944年には大学で知り合った演劇仲間の女学生リディア・クラークと結婚。自身が亡くなるまで64年間連れ添った。第二次世界大戦中に卒業後、アメリカ陸軍に入隊し、B-25の無線士としてアリューシャン列島地域で3年間勤務。

退役後、俳優の道を目指し、1947年、ブロードウェイ・デビュー。1950年に最初の映画『虐殺の街』に出演、セシル・B・デミル監督に『ミケランジェロの彫刻のように美しい』と称された肉体美と精悍なマスク、格調高い演技力でいくつもの名作に出演し、2年後に『地上最大のショウ』に出演、1956年「十戒(モーゼ役)」、1959年には映画『ベン・ハー』でアカデミー主演男優賞を獲得した。ハリウッド黄金期後期を支え、日本人にも馴染み深い大作やSF映画の主演も務めた。1966年から1971年までは、俳優組合の会長をつとめた。

演じる役柄、出演作も幅広かったことで知られ、とくに当たり役となった歴史劇『十戒』や『ベン・ハー』、『エル・シド』、『華麗なる激情』等では歴史上の英雄を、『大地震』、『ハイジャック』等に代表されるパニック・アクションのタフガイな主人公をそれぞれ演じ分けた他、更には『猿の惑星』や『ソイレント・グリーン』『地球最後の男オメガマン』などの娯楽作、異色作にも登場しイメージを一新した。

1971年『アントニーとクレオパトラ』では、脚本と監督も手掛けてその多彩な才能を披露。

1977年にはその功績からジーン・ハーショルト友愛賞を授与されている。

1990年代も個性的な名脇役として親しまれ晩年まで出演を続けた。『PLANET OF THE APES/猿の惑星』(2001年)ではゼイウス(猿側の将軍セードの父)役でカメオ出演した。

『MY FATHER』(2003年)ではアルツハイマーに苦しみながらも、「死の天使」と恐れられたヨーゼフ・メンゲレを圧倒的な存在感で演じた。

私生活は大変堅実で、ハリウッドスターとしては大変珍しく離婚歴はなく、20歳の時に結婚したリディア夫人と自身が亡くなるまで64年間連れ添った。2008年4月5日夜半過ぎ、ビバリーヒルズの自宅にて夫人に看取られ84歳で死去[2]。アメリカのメディアはトップニュースでヘストンの死去を報じた。
政治運動
公民権運動ワシントン大行進で、作家ジェイムス・ボールドウィン、俳優ハリー・ベラフォンテマーロン・ブランドとともに1963年ワシントン大行進にて1981年

下記のように晩年は保守派層の代表として見られることになるが、アメリカ国内においては1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定されるまでは法の上での人種差別が認められており、実際に出身地のイリノイ州南部を含むアメリカ南部を中心に人種差別が激しかった1950年代から1970年代に、人種差別反対の姿勢を公にして公民権運動の旗振り役の1人として活動した。

その活動の著名な例として、1963年8月にマーティン・ルーサー・キング牧師ハリー・ベラフォンテマーロン・ブランドサミー・デイヴィス・ジュニアらと共にワシントン大行進に参加した。

その後、共和党選出の保守派議員であるバリー・ゴールドウォーターへの共感から保守主義に傾倒していくものの、一貫して人種差別に対しては反対の立場を取り、自らの影響力をフルに使いアメリカにおける公民権法の実現と人種差別の解消にその生涯を通じて情熱を注いだ。なおこれらの活動を通じて、ジェシー・ヘルムズトム・ディレイなどの大物政治家とも親交を持った。
全米ライフル協会チャールトン・ヘストン(1982年)

銃の所有者が多いイリノイ州南部の出身ということもある上、「武装する権利の擁護」の観点から全米ライフル協会(NRA)の一員であり、1997年に同会の評議員に当選し、翌1998年には同会の会長に就任した。

同会の会長は本来2期(1期1年)までだったが、規約が改正され2003年まで5期つとめ、2000年アメリカ合衆国大統領選挙におけるジョージ・W・ブッシュ当選、2002年における共和党の中間選挙勝利に貢献し、減少を続けていた会員数も500万人近くにまで増大させた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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