His Grace
(英語版)第4代リッチモンド公爵チャールズ・レノックス(英語: Charles Lennox, 4th Duke of Richmond,KG PC、1764年12月9日 - 1819年8月28日)は、イギリスの貴族、政治家、イギリス陸軍軍人。 ジョージ・レノックス卿
生涯
二度の決闘公爵の決闘相手であるヨーク公フレデリック
彼が佐官時代の1788年夏ごろは、時の国王ジョージ3世が健康状態を悪化させて錯乱状態に陥ったことから、摂政法改正が論争となっていた[5][6]。チャールズはその議論の際に、不行跡著しいプリンス・オブ・ウェールズを徹底的に批判したため、その王弟ヨーク・オールバニ公フレデリックから決闘を挑まれて、1789年5月にウィンブルドンで決闘に及んだ[2][3][7]。チャールズの放った弾丸は公爵の髪をかすめたが、ヨーク公は空砲を撃って最早敵意のないことを示したことで両者ともに怪我なく終結している[2][3][8]。この余波を受けて、彼はヨーク公が長を務める近衛連隊から第35歩兵連隊(英語版)付中佐へと転出となった[3][9]。
同年7月には、詩人セオフィラス・スイフト(英語版)に自身を非難する手記を発表されたため、スイフトとも決闘に及んでいる[2][3][10]その結果、スイフトは負傷したが致命傷ではなかったという[10][11]。
同年9月にゴードン公爵家令嬢シャーロットと結婚[1][4]、これがきっかけで彼の孫の代(第6代リッチモンド公爵)に同家の莫大な財産がもたらされることとなる[7]。