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チャールズ・ブコウスキー
Charles Bukowski
誕生ヘンリー・チャールズ・ブコウスキー
Henry Charles Bukowski
1920年8月16日
ドイツ国
プロイセン自由州
アンダーナッハ
死没 (1994-03-09) 1994年3月9日(73歳没)
アメリカ合衆国
カリフォルニア州
サンペドロ
職業作家、詩人
言語英語
国籍 アメリカ合衆国
最終学歴ロサンゼルス・シティー・カレッジ
ウィキポータル 文学
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ヘンリー・チャールズ・ブコウスキー(英語: Henry Charles Bukowski, 1920年8月16日 - 1994年3月9日)はアメリカの作家、詩人。 1920年、ドイツ人の母、カタリーナ・フェットとポーランド系アメリカ人の軍人の父、ヘンリー・チャールズ・ブコウスキー・シニアのあいだに、ドイツのアンダーナッハで生まれる。第一次世界大戦後のドイツの経済崩壊により1923年に一家はアメリカ合衆国のメリーランド州ボルチモアに移住、その後カリフォルニア州ロサンゼルスへ転居。幼年時代、ブコウスキーはしばしば失業状態にあった父親から虐待を受けていた[1]。 1933年、中学校を休学し、?瘡の治療を受ける。 1939年、ロサンゼルス・ハイスクール
略歴
1941年、大学中退。ロサンゼルスを離れる。雑仕事をしながら放浪する。
1944年、ニューヨークに移り住む。本格的な創作活動を始め、『ストーリー』誌に短篇Aftermanth of a Lengthy Rejection Slip が掲載される。文芸エージェントの申し出もあったが断る。
1946年、作家になる夢をあきらめる。ジェーン・C・ベイカーと出会い、十年近く同棲することになる。
1952年、1955年まで配達員として郵便局に勤める。
1955年、長年にわたる大量の飲酒がたたり、出血性の潰瘍で入院する。 退院したころからまた詩を書きはじめる。1957年10月、『ハーレクイン』誌の編集者バーバラ・フライ
と結婚するも、1958年3月に離婚した。この年、両親が相次いで死去。創作活動を再開。1958年、事務員としてロサンゼルスの郵便局に勤める。
1959年、ジェーン・C・ベイカー死去。葬儀代をもつ。
1960年、最初の詩集Flower, Fist, and Bestial Wail 刊行。1964年、内縁の妻、フランシス・スミスとのあいだに、娘のマリナが生まれる。
1966年、ロサンゼルスの地下新聞『オープン・シティ』紙のコラム Notes of Dirty Old Man を担当。
1969年、 『オープン・シティ』紙のコラムが『ブコウスキー・ノート』としてポルノ専門の出版社から刊行され、最初の商業的成功を得る。
1970年、ブラック・スパロー・プレスのジョン・マーティンから「生涯毎月100ドル」[2]という俸給を約束され、1月2日、郵便局を退職。その後の主要な作品のほとんどが、ブラック・スパロー社から出版されることになる。
1971年、ジョン・マーティンから長篇小説の要望を受け、二週間で『ポスト・オフィス』を書き上げる。
1972年、詩集『モノマネ鳥よ、おれの幸運を願え』刊行。シティライツ社から Erections, Ejaculations, Exhibitions, and General Tales of Ordinary Madness 刊行。1983年に二冊にわけて出版、『町でいちばんの美女』及び『ありきたりの狂気の物語』となる。
1973年、T・ハックフォードによるドキュメンタリー番組『ブコウスキー』が公共放送にて放映される。短篇集『ブコウスキーの「尾が北向けば…」』刊行。
1974年、全米芸術基金から助成金を受ける。
1975年、長篇『勝手に生きろ!』刊行。二十代の放浪生活を描く。
1978年、長篇『詩人と女たち』、旅行記『ブコウスキーの酔いどれ紀行』、詩集『指がちょっと血を流し始めるまでパーカッション楽器のように酔っ払ったピアノを弾け』刊行。
1983年、映画『ありきたりの狂気の物語 町でいちばんの美女』公開。
1984年、脚本を担当した映画 The Killers に作家役で出演。
1985年、1976年の朗読会で出会ったリンダ・リー・ベイルと8月に結婚。
1987年、脚本を担当した映画『バーフライ』公開。詩集 Love is a Dog from Hell を原作とした映画『クレイジーラブ 魅せられたる三夜』公開。
1991年、短篇『充電のあいまに』及び『人魚との交尾』を原作とした映画『つめたく冷えた月』公開。
1994年3月9日、カリフォルニア州サンペドロで白血病により死去。遺作となる「パルプ」を完成したすぐ後のことであった。彼の墓には「DON'T TRY(「やめておけ」)(「突っ張るな!」)」と刻まれている。
エピソード
遺作である『パルプ』を除き、長篇小説は自伝的内容を多く含み、主人公はヘンリー・チナスキーという作者の分身的存在である。チナスキーは1965年の短篇『魂の箍が外れ過ぎて獣と暮らしてもなんとも思わなくなった男の告白』以来、詩を含む多くの作品に登場。しかしその一方作者が実名で登場する作品も多い。
敬愛する作家にルイ=フェルディナン・セリーヌ、ジョン・ファンテ、アーネスト・ヘミングウェイなどがいる。セリーヌについては遺作の『パルプ』の他様々な文章で語っている。ヘミングウェイに関しては、長編『詩人と女たち』で、「彼は良い文章を書くが、全てが彼において戦争である」と主人公が言っている。これは、著者の考えともとれる。また短篇「上流階級の女」では主人公がヘミングウェイとボクシングをする場面がある。
主な作品
短編集
Confessions of a Man Insane Enough to Live with Beasts 1965
Notes of a Dirty Old Man 1969
『ブコウスキー・ノート』(山西治男訳 文遊社、1995)
South of no North 1973
『ブコウスキーの「尾が北向けば・・・」―埋もれた人生の物語』(山西治男訳 新宿書房、1998)
Hot Water Music 1983
『ホット・ウォーター・ミュージック』(山西治男訳 新宿書房、1993 のち『ブコウスキーの3ダース ホット・ウォーター・ミュージック』に改題)
Bring Me Your Love 1983
Tales of Ordinary Madness 1983
『ありきたりの狂気の物語』(青野聰訳 新潮社、1995 のち文庫 のちちくま文庫)
The Most Beautiful Woman in Town & Other Stories 1983
『町でいちばんの美女』(青野聰訳 新潮社、1994 のち文庫)
Portions from a Wine-Stained Notebook 2008 デイヴィッド・ステファン・カロン編
『ワインの染みがついたノートからの断片』(中川五郎訳 青土社、2016)
Absence of the Hero 2010 デイヴィッド・ステファン・カロン編
『英雄なんかどこにもいない』(中川五郎訳 青土社、2020)
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