この項目では、リベリアの第22代大統領について記述しています。その他の同名の人物については「テイラー」をご覧ください。
チャールズ・マッカーサー・ガンケイ・テイラー
Charles MacArthur Ghankay Taylor
リベリア
第22代 大統領
任期1997年8月3日 – 2003年8月11日
副大統領モーゼス・ブラ他
出生 (1948-01-28) 1948年1月28日(76歳)
リベリア、モンセラード郡アーシントン
チャールズ・マッカーサー・ガンケイ・テイラー(英語: Charles MacArthur Ghankay Taylor、1948年1月28日 - )は、リベリアの政治家、軍事指導者。第22代リベリアの大統領(1997年8月3日 - 2003年8月11日)。
来歴
大統領就任まで
1948年モンロビア近郊の高級住宅地アーシントン(英語版)でアメリコ・ライベリアンの父とゴラ族(ドイツ語版)の母との間で生まれる(一説にはアメリコ・ライベリアンの血は入っておらず、現地の先住民とも言われている)。兄弟にボブと兄のネルソン(内戦で死亡している)がいる。息子にアメリカで拷問罪の罪で起訴されたチャールズ・“チャッキー”・テイラー・(ジュニア)がいる。
1970年代にアメリカ・ベントリー大学(英語版)で経済学を学ぶ。
1980年にサミュエル・ドウ政権下で調達庁長官に就任。その後公金横領容疑で逃亡先のアメリカで逮捕されたものの逃走。
1987年にガーナでブルキナファソ大使を介してリビアの最高指導者ムアンマル・アル=カッザーフィーと接触。
1988年リビアのゲリラ訓練所でシエラレオネのアハメド・フォディ・サンコーと出会う。
1989年12月に反政府武装組織「リベリア国民愛国戦線(NPFL)」を結成し、コートジボワールから国境を越え、リベリア北部から進入し蜂起する。
1991年にはNPFLを隣国のシエラレオネに侵入させ、サンコーと共にシエラレオネ内戦も起こす。
大統領.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキニュースに関連記事があります。
ナイジェリア、亡命者引渡し法案を審議―テイラー前リベリア大統領の処遇に影響も
1997年の大統領選挙に出馬。「He killed my ma, he killed my pa, he gets my vote」という有名なスローガンを打ち出し、エレン・ジョンソン・サーリーフに勝利して、8月2日に大統領に就任した[1]。なお、NPFLは国民愛国党に改組した。内戦は収まらず、反対派を軍隊や私兵を使って鎮圧する。また、中華人民共和国と国交断絶して台湾(中華民国)から資金援助を得た[2]。