チャールズ・スタークウェザー
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チャールズ・レイモンド・スタークウェザー
Charles Raymond Starkweather
個人情報
生誕 (1938-11-24)
1938年11月24日
アメリカ合衆国ネブラスカ州リンカーン
死没 (1959-06-25) 1959年6月25日(20歳没)
アメリカ合衆国・ネブラスカ州リンカーン / Nebraska State Penitentiary(英語版)
死因電気椅子による処刑
殺人
犯行期間1957年12月1日?1958年1月29日
国アメリカ合衆国
州ネブラスカ州、ワイオミング州
犯行現場.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}



リンカーン、ネブラスカ州ベネット(英語版)

ワイオミング州ダグラス(英語版)


凶器



ウィンチェスターモデル1906(英語版)

.410 Stevens Model 59A(英語版)

.38スペシャル弾リボルバー

ナイフ


逮捕日1958年1月29日
司法上処分
刑罰死刑
有罪判決第一級殺人
収監場所Nebraska State Penitentiary(英語版)
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画像外部リンク
1958年のスタークウェザーのマグショット

チャールズ・レイモンド・スタークウェザー(Charles Raymond Starkweather、1938年11月24日 ? 1959年6月25日)[2]は、当時19歳の1957年11月から1958年1月にかけて、ネブラスカ州ワイオミング州で11人を殺害したアメリカの連続殺人犯[3]。1958年1月21日から逮捕日の1月29日の間に10名を殺害し、1958年の犯行においては14歳の恋仲であるキャリル・アン・フューゲート(英語版)が同伴していた[4]

スタークウェザーとフューゲートは両名とも殺人事件に関与した罪で有罪判決を受け、 前者は死刑を宣告され事件から17ヶ月後に刑が執行された。フューゲートは17年間服役し、1976年に釈放されている[5]。1959年に執行されたスタークウェザーの電気椅子による処刑は、1994年にハロルド・ラモント・オテイ(英語版)が殺人罪で処刑されるまで、最後に執行されたネブラスカの死刑(英語版)であった[6]

スタークウェザー事件は、犯罪学者や心理学者によって、連続殺人犯の動機や誘発要因を解明するために分析された[7][8][9]。また、リンドバーグ愛児誘拐事件のように、全国的に有名になった初期の犯罪の1つとして同事件は悪名高くなり、当時事件を報道したメディアは公然とスタークウェザーを非難した[10][11]
経歴

チャールズ・スタークウェザーはネブラスカ州リンカーンで父ガイと母ヘレン・スタークウェザーの7人兄弟の四男として生を受けた[12]。スタークウェザー家は労働者階級の一家で、父親のガイは大工だったが、両手の関節リウマチのために度々失業しており、母親のヘレンが家計を支えるべくウェイトレスとして働いていた[13]。ガイ・スタークウェザーはチャールズの裁判で、息子を窓から突き落としたことを認めており、後にヘレンはガイの行為が極めて残虐であったことを理由に離婚している[14]

スタークウェザーはサラトガ小学校、アービング中学校、リンカーン高校(英語版)に在籍した。家庭での生活とは対照的に、暗い学校生活を送っていたと述懐している[15]。スタークウェザーは軽度の先天異常である内反膝(英語版)を持って生まれ、言語障害をクラスメートに揶揄されたと主張している[15]。一方で小学校の担任教師は、スタークウェザーがからかわれていた記憶はないと語っている[16]

成長して強くなるにつれて、スタークウェザーが唯一秀でた科目は体育であり[12]、そこで自身が受けたいじめへの怒りのはけ口を見つけ、その後、かつて自分をいじめた者たちをいじめるようになった[17]。やがて気に入らない人間に対して憤りを感じるようになり、作家のジンジャー・ストランド(英語版)は、獄中から送られてきたスタークウェザーの手紙からは階級への強い羨望と恨みが読み取れると語っている[18]。高校時代の友人ボブ・フォン・ブッシュは後にこう回想している。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}彼は多分、今まで会った中で最も親切な人だ。彼は気に入った人のためなら何でもするさ。一緒に過ごした時間はとても楽しかったよ。彼にとっては、すべてが単なるジョークに過ぎなかった。だけど、彼には別の一面もあった。とてつもなく意地悪で、残酷な一面がね。もしも街で自分より背が高くて、容姿が整っていて、お洒落な奴を見かけたら、そいつを自分と同じ身長まで縮めようとするだろうさ。[19]

スタークウェザーが学校を中退するころには、彼の暴力的な傾向から家族から恐れられていたとされている[20]
キャリル・アン・フューゲートとの関係詳細は「:en:Caril Ann Fugate」を参照

1956年、18歳の時、スタークウェザーは13歳のキャリル・アン・フューゲートに紹介された[21]。スタークウェザーは4年目に高校を中退し、新聞倉庫で働き始めた[12][17]。理由は勤務先がフューゲートの学校に近かったからであり、毎日放課後に彼女のもとを訪れるようになっていた。

スタークウェザーはフューゲートに運転を教えたが、ある日彼女がスタークウェザーの父親の車を大破させたため、チャールズは実家から追放された。倉庫の仕事を辞め、ごみ収集員に転職した[12]

スタークウェザーは虚無主義的な世界観を展開し始め、自身の現状が残りの人生をどう生きるかの最終的な決定要因であると考え、一方で生物学的な欲求を満たし、他者に対する権力を獲得することだけに邁進した[22][23]。やがて銀行強盗を企てるようになり、Dead people are all on the same level(死人はみんな同じレベルだ)という独自の哲学に到達した[24]
最初の殺人

1957年11月30日深夜、スタークウェザーはリンカーンのガソリンスタンド従業員のロバート・コルバートに対し、クレジットカードで動物のぬいぐるみを買うことを拒まれたため憤慨した。夜中に幾度も戻ってきて小物を買い、最後にはショットガンを取り出してコルバートにレジの100ドルを渡すよう強要した。コルバートを人里離れた場所まで車で連れて行き、そこで銃を巡って争いになり、コルバートを負傷させた後、数発の銃弾を頭部に撃ち込み射殺した[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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