チャールズ・サンダース・パース
人物情報
生誕 (1839-09-10) 1839年9月10日
アメリカ合衆国, ケンブリッジ, マサチューセッツ州
死没 (1914-04-19) 1914年4月19日(74歳没)
アメリカ合衆国, ミルフォード
チャールズ・サンダース・パース[注釈 1](英: Charles Sanders Peirce、1839年9月10日 - 1914年4月19日[1])は、アメリカ合衆国の哲学者、論理学者、数学者、科学者であり、プラグマティズムの創始者として知られる。
マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。パースは化学者としての教育を受け、米国沿岸測量局に約30年間、科学者として雇われていた。「アメリカ合衆国の哲学者たちの中で最も独創的かつ多才であり、そしてアメリカのもっとも偉大な論理学者」ともいわれる[2]。存命中はおおむね無視され続け、第二次世界大戦後まで二次文献はわずかしかなかった。莫大な遺稿の全ては今も公表されていない。パースは自分をまず論理学者とみなし、さらに論理学を記号論 (semiotics) の一分野とみなした。 清教徒の移民であったジョン・パースの子孫であり、当時アメリカ最大の数学者と見なされたハーバード大学数学教授ベンジャミン・パースの次男として生まれる。早くから父に才能を見いだされ、特別の教育を受ける。なぞなぞ・トランプの手品・チェス・暗号を好み、8歳で化学者、10歳で数学者となり、12歳のときにはホエイトリー
生涯
1859年に米国沿岸測量局に就職したのを皮切りに、1891年まで断続的に測量の仕事を続けた。1869年から1875年まで、ハーバード大学天文台の助手として測光に従事した。光の波長を測量の規準単位として用いるやり方は、パースが始めたものである。