チャールズ・サムナー・テンター
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チャールズ・サムナー・テンター
Charles Sumner Tainter
チャールズ・サムナー・テンター(1886年ごろ)
生誕 (1854-04-25) 1854年4月25日
アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ウォータータウン
死没1940年4月20日(1940-04-20)(85歳)
アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンディエゴ
国籍 アメリカ合衆国
著名な実績フォトフォン
蓄音機
「トーキングマシンの父」
配偶者Lila R. Munro
(m. 1886; d. 1924)
Laura F. Onderdonk (m. 1928)
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チャールズ・サムナー・テンター(Charles Sumner Tainter、1854年4月25日 - 1940年4月20日)は、アメリカ合衆国の科学機器製造者、エンジニア、発明家である。アレクサンダー・グラハム・ベル、ベルのいとこのチチェスター・ベル、ベルの義父ガーディナー・グリーン・ハバードとの共同作業や、トーマス・エジソン蓄音機を大幅に改良してグラフォフォン(英語版)を開発したことで知られている[1]

その後、テンターはウェストバージニア州のインターナショナル・グラフォフォン社に所属し[2]、自らも研究開発室を運営していたため、「トーキングマシンの父」(蓄音機の父)と呼ばれるようになった[3]
生涯

マサチューセッツ州ウォータータウンに生まれ、公立の小中学校に通った。高校や大学には通わず、ほとんど独学で知識を得た。

1873年マサチューセッツ州ケンブリッジで望遠鏡を製造していたアルバン・クラーク・アンド・サンズ(英語版)社に就職した。同社は1874年12月8日金星の太陽面通過を観測するためにアメリカ海軍と契約し、テンターは観測隊員としてニュージーランドに派遣された[3]。1878年、マサチューセッツ州ケンブリッジポート(英語版)に理化学機器を製造販売する店を開き、そこでアレクサンダー・グラハム・ベルと知り合った。その1年後、ベルからワシントンD.C.のボルタ研究所(英語版)に呼ばれ、その後数年間、ベルとともに研究した[1][3]

この間、テンターはベル夫妻と共にいくつかの発明を行ったが、中でもフォトフォン蓄音機の開発に力を注いだ。これは、エジソンの初期の蓄音機を大幅に改良したグラフォフォン(英語版)に発展し、テイターはベル夫妻とともにいくつかの特許を取得した。後に、エジソンは、テンターがオーナーを務めるボルタ・グラフォン・カンパニーを特許侵害で訴えたが、両者の妥協により解決した[3]テンター(1919年)

1886年にライラ・R・マンロー(Lila R. Munro)と結婚した[3]


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