初代コーンウォリス侯爵
チャールズ・コーンウォリス(英: Charles Cornwallis, 1st Marquess Cornwallis KG, PC、1738年12月31日 - 1805年10月5日、初代コーンウォリス侯爵)は、イギリス軍の将軍であり、世界各地植民地の総督を務めた。アメリカ合衆国とイギリスではアメリカ独立戦争の時にイギリス軍を指揮した将軍の一人として強く記憶されている。
1781年、ヨークタウンの戦いでアメリカ・フランス連合軍に、彼の指揮するイギリス軍が降伏したのが事実上の終戦と考えられることが多いが、実際にはその後も2年間は交戦状態が続いた[1]。このような敗北を経験したにも拘わらず、コーンウォリスはイギリス政府の信頼を繋ぎ止め、その活動的な経歴を続けた。インドでは総督を2度務め、永世統治法を定めたことでも知られる。アイルランド総督としてはカトリック解放を主張し、1798年のアイルランド反乱とフランスによるアイルランド侵略に対処した。また、イングランドとアイルランドの統合を進めた。
1753年から1762年まではブローム子爵、1762年から1792年まではコーンウォリス伯爵として知られ、その後に侯爵になった。 コーンウォリスは第5代コーンウォリス男爵チャールズ・コーンウォリス(後に初代コーンウォリス伯爵、1700年3月29日-1762年6月23日、ブリストルに近いハウェルズ在)の長男としてロンドンのグローヴナー・スクエア
目次
1 生い立ち
2 軍隊での経歴
2.1 七年戦争
3 アメリカ独立戦争
3.1 ニューヨーク・ニュージャージー方面作戦
3.2 トレントンとプリンストン
3.3 フィラデルフィア方面作戦
3.4 南部戦線
3.5 バージニア方面作戦
3.6 イギリスへの帰還
4 インド総督
4.1 マイソールとの紛争
5 アイルランド総督
6 アミアンの和約
7 死
8 遺産
9 脚注
10 関連項目
11 伝記
11.1 一次史料
11.2 二次史料
12 外部リンク
生い立ち
コーンウォリスは財産にも血縁関係にも恵まれていた。コーンウォリス家は14世紀にサフォークのアイの近くブロームホールに基盤を置き、以後300年間に一族を州の代議士として国会に送っている。1627年にフレデリック・コーンウォリスが準男爵となり、チャールズ1世のために戦い、追放されたチャールズ2世に従った。