チャールズ・ウィルクス
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チャールズ・ウィルクス
Charles Wilkes
チャールズ・ウィルクス
生誕 (1798-04-03) 1798年4月3日
ニューヨーク州ニューヨーク
死没1877年2月8日(1877-02-08)(78歳)
ワシントンD.C.
著名な実績アメリカ合衆国探検遠征隊 (1838-1842)
トレント号事件
署名

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チャールズ・ウィルクス(: Charles Wilkes、1798年4月3日 - 1877年2月8日)は、アメリカ合衆国海軍の士官、探検家である。1838年から1842年に行われたアメリカ合衆国探検遠征隊を指揮し、南北戦争初期の1861年に起きたトレント号事件ではその船の指揮官だった。幾つかの「初物」を行ったとされているが、その挙動により2回も軍法会議に掛けられ、有罪とされた。
初期の経歴

ウィルクスは1798年4月3日にニューヨーク市で生まれた。元ロンドン市長ジョン・ウィルクスの兄弟の孫にあたる。母のメアリー・シートンは、ウィルクスがちょうど3歳の1802年に死んだ。その結果、叔母のエリザベス・アン・シートンに育てられた。このエリザベスはローマ・カトリック教会への転向者であり、カトリック教会に列聖された最初のアメリカ生まれの女性だった。エリザベスが5人の子供達と共に寡婦になったとき、ウィルクスは寄宿制中学校に送られ、後には現在のコロンビア大学となったコロンビア・カレッジに入学した。1818年に士官候補生としてアメリカ海軍に入り、1826年には海軍大尉になった。

1833年、ナラガンセット湾を調査したことで、海軍海図計器部に配属となった。この部門は後にアメリカ海軍天文台と水路部に発展した。ウィルクスが行った学術探検(1838年-1842年)によって、海図計器部の初代監督官であるマシュー・フォンテーン・モーリーのために海洋物理学の基準ができた。
コロンビア協会

1820年代、ウィルクスは権威ある団体である「芸術と科学の促進のためのコロンビア協会」会員だった。その会員の中には元大統領のアンドリュー・ジャクソンジョン・クインシー・アダムズなど当時の多くの著名人や、軍隊、政府、医療など専門分野で良く知られた代表的人物が含まれていた[1]
南洋探検ウィルクスの探検隊、南極海ディスアポイントメント湾のUSSビンセンズ号

1838年、ウィルクスはまだ年季の入った海軍士官ではなかったが、局地調査業務を経験し、文民の科学者と共に仕事をした。このような経歴により、政府が後援する探検隊の指揮を任された。その命令書は「南洋を探検し測量する目的で...さらに全ての疑わしい島や浅瀬の存在を確認し、我々の艦船の航路とその近くにあり、また科学的航海の観測から漏れていた可能性のあるそれらの位置を発見し、正確に記録すること」とされていた。アメリカ合衆国探検遠征隊は、1836年5月18日にアメリカ合衆国議会法で承認された。

アメリカ合衆国探検遠征隊は通常「ウィルクス遠征隊」と呼ばれ、隊員には博物学者植物学者鉱物学者剥製師画家および文献学者が含まれた。艦船はスループ・オブ・ウォーのUSSビンセンズ(780トン)とUSSピーコック(650トン)が主であり、これにブリッグ船USSポーパス(230トン)、貨物船USSレリーフ、およびスクーナー船2隻USSシーガル(110トン)とUSSフライングフィッシュ(96トン)が付けられた[2]

1938年8月18日にバージニア州ハンプトン・ローズを出港し、マデイラ諸島リオデジャネイロアルゼンチンに寄港し、ティエラ・デル・フエゴフエゴ諸島)、チリペルートゥアモトゥ諸島サモアおよびオーストラリアニューサウスウェールズを訪問した。シドニーからは1839年12月に南極海に入り、1840年1月25日に視認した「バレニー諸島の西で南極大陸の」発見を報告した。1840年にはフィジーハワイ諸島を訪問した。1840年7月、ウィルクスの甥である士官候補生ウィルクス・ヘンリーを含む2人の水夫が、フィジーのマロロ島で食料交換の交渉中に殺された。ウィルクスの報復は迅速で厳しいものだった。マロロ島のある老人に拠れば、この事件で80人近いフィジー人が殺された。

1840年12月から1841年3月、ウィルクスは数百人のハワイ人を雇い、部下の多くと共に振り子マウナ・ロア山頂上に上げて、重力を測定した。既にある道の代わりに自分で選んだ道を進んだので、予測したよりも長い時日が掛かった。山頂の条件は南極を思い出させるものだった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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