670型潜水艦 (チャーリーI型)
インド海軍「チャクラ」
基本情報
艦種巡航ミサイル原子力潜水艦 (SSGN)
建造期間1965年 - 1972年
就役期間1969年 - 1995年
同型艦11隻
前級675型(エコーII型)
次級670M型(チャーリーII型)
要目
排水量水上: 3,574t 水中: 4,560t
全長95.5m
最大幅9.9m
吃水7.5m
機関方式VM-4-1加圧水型原子炉×1基
蒸気タービン×1基
可変ピッチプロペラ×1軸
出力18,800馬力
速力水上: 12kt 水中: 26kt
航続距離60日間連続潜航可能
潜航深度安全: 240m
最大: 300m
乗員将校20名+曹士80名
兵装533mm魚雷発射管×4門 (魚雷14本)
400mm魚雷発射管×2門 (魚雷4本)
P-70対艦ミサイル×8発
C4ISTAR「ブレスト」
ソナーMGK-100「ケルチ」
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チャーリーI型原子力潜水艦(英語: Charlie I class submarine)は、ソビエト連邦海軍・ロシア海軍が運用していた巡航ミサイル潜水艦の艦級に対して付与されたNATOコードネーム。ソ連海軍での正式名は670型潜水艦(ロシア語: Подводные лодки проекта 670)[1]。なお艦種記号上は潜水巡洋艦である。
ソ連海軍の量産巡航ミサイル原潜(SSGN)としては初めて、潜没状態での対艦ミサイル発射を可能とした艦級である。静粛性にも優れていたことから、主任務であるアメリカ海軍空母機動部隊の探知・追跡・破壊以外にも、攻撃原潜としての任務にも投入され、活躍した。ただし主兵装である対艦ミサイルが短射程であったことから、のちに長射程型が開発されると、これを搭載した発展型の670M型(チャーリーII型)へと配備は移行した。 1950年代から60年代にかけて、ソ連海軍は、VM-A型加圧水型原子炉を動力源とする各種の原子力潜水艦(ノヴェンバー型SSN、エコー型SSGN、ホテル型SSBN)の開発に成功した。しかし当時、アメリカ海軍においては、航空母艦(CVN)や原子力ミサイル嚮導駆逐艦(DLGN)の原子力推進化が進み、艦隊行動において30ノット以上の速力の維持が可能となりつつあり、これらに対してVM-A搭載艦では長時間の追尾維持が困難と考えられた。また特にSSGNに関しては、主兵装となるP-6対艦ミサイルを発射する際には、その前後長時間にわたって浮上していなければならず、これでは戦術的な効果が極めて低いものと判断された[2]。 このことから、1950年代末期より、ソ連海軍は既に第2世代のSLCMおよびSSGNの開発に着手していた。まず1959年4月1日、P-6の開発を担当していた第52設計局
来歴
本型の設計にあたっては、ほぼ並行して設計作業が進められていた671型潜水艦(ヴィクター型SSN)の要素が積極的に導入された。また本型の開発にやや先行して、同じくP-70を主兵装とするものの、最大速力38ノットと速力では遥かに勝る高速原潜である661型潜水艦(パパ型)の開発が進められており、その技術もバックフィットされている。ただし661型は、世界初のチタン製大型潜水艦であったことから建造作業は難航し、実際の進水は本型が先行することとなった[2]。
船型としては671型と同じく涙滴型が採用された。船体構造としては、前部と後部が複殻式、セイルのある中央部が単殻式とされ、このうち前部では外殻と内殻のあいだに、傾斜角32.5度をつけてP-70のコンテナが収容された。このように複殻の隙間にSLCMの発射筒を設置する手法は第3世代のSSGNでも踏襲されることとなっている。ただし排水量が少なく兵器が重いことから、耐圧殻の厚さが制限されて最大潜航深度は300メートルに留められ、また予備浮力が極限まで切り詰められたため1区画浸水でも浮上不能となった。また船殻材はAK-29高張力鋼(耐力80kgf/mm2 / 784MPa)、セイルや上部構造は軽合金、ソナーのアンテナ・フェアリングにはチタン合金と多種多様の金属が用いられたことから、腐蝕防止は重要な問題となった。なお、重量軽減策の一環として、ソ連原潜として初めて原子炉1基・推進器1軸の構成が採用されたことから、単機出力の大きいVM-4O型原子炉によるOK-350主機が開発されて搭載された。