チャーリー・ブラックモン
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チャーリー・ブラックモン
Charlie Blackmonコロラド・ロッキーズ #19
2021年6月23日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地テキサス州ダラス
生年月日 (1986-07-01) 1986年7月1日(37歳)
身長
体重6' 3" =約190.5 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション外野手
プロ入り2008年 MLBドラフト2巡目(全体72位)
初出場2011年6月7日
年俸$15,333,334(2023年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ノース・グウィネット高等学校

ヤングハリス大学(英語版)

ジョージア工科大学

コロラド・ロッキーズ (2011 - )

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

チャールズ・カッブ・ブラックモン(Charles Cobb Blackmon, 1986年7月1日 - )[2]は、アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身のプロ野球選手外野手)。左投左打。MLBコロラド・ロッキーズ所属。愛称はチャック・ナッツィー(Chuck Nazty)[3]

2008年にドラフトで指名されて入団して以降、一貫してロッキーズに所属しているフランチャイズ・プレーヤーである。
経歴
プロ入り前

テキサス州ダラスで生まれ、 ジョージア州スワニーで育ち、ノースグウィネット高等学校では左利きの投手と外野手としてプレーしていた。 野球以外にもバスケットボールやフットボールにも参戦し、年間最優秀スポーツ選手に3回選ばれた。

2004年MLBドラフト28巡目(全体848位)でフロリダ・マーリンズから指名されたが、順位が低かったのでヤングハリス大学(英語版)に進学した。

ヤングハリス大学では2年間投手として大学野球をプレーした[4]。 1年生のシーズンで15勝をあげ、127イニングで138個の三振を奪った。シーズン終了後の2005年MLBドラフト20巡目(全体618位)でボストン・レッドソックスから指名されたが、この時も順位を理由に契約には至らなかった。翌シーズンもヤング・ハリス大学でプレーした。

2006年には奨学金を得てジョージア工科大学に転校した[5]。1年目は肘の腱炎のためRedshirt(英語版)になり、復帰後も球威は下がってしまった。しかしその間に野手として見いだされ、4年生時には外野手として、打率.396、8本塁打、25盗塁の成績を残した[6]。2011年にジョージア工科大学を卒業した[7]
ロッキーズ時代

2008年MLBドラフト2巡目(全体72位)でコロラド・ロッキーズから指名され、6月8日に契約。傘下のA-級トリシティ・ダストデビルズ(英語版)でプレーし、68試合に出場して打率.338、2本塁打、33打点、13盗塁を記録した。ノースウェストリーグのオールスターチームに選出された。

2009年はA+級モデスト・ナッツでプレーし、133試合に出場して打率.307、7本塁打、69打点、30盗塁を記録した。

2010年はAA級タルサ・ドリラーズでプレーし、86試合に出場して打率.297、11本塁打、55打点、19盗塁を記録した。

2011年は開幕からAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスでプレーし、58試合に出場して打率.337、10本塁打、49打点、12盗塁を記録した。6月7日にロッキーズとメジャー契約を結び[8]、同日のサンディエゴ・パドレス戦でメジャーデビュー。「7番・左翼手」で先発起用され、3打数無安打に終わった。7月1日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦、25歳の誕生日に代打ホアキム・ソリアから初本塁打を記録した。7月8日に左足の骨折で15日間の故障者リスト入りし[9]、7月15日に60日間の故障者リスト入りした[10]。この年メジャーでは27試合に出場して打率.255、1本塁打、8打点、5盗塁を記録した。オフの10月31日に故障者リストから外れた[11]

2012年は開幕前の4月4日にターフトゥで15日間の故障者リスト入りした[12]。4月14日に故障者リストから外れたが、AAA級コロラドスプリングスへ降格[13]。8月18日に再昇格した[14]。この年は42試合に出場して打率.283、2本塁打、9打点、1盗塁を記録した。

2013年3月5日にロッキーズと単年契約に合意し[15]、3月24日にAAA級コロラドスプリングスへ異動した[16]。5月12日にメジャーへ昇格し[17]、5月29日にAAA級コロラドスプリングスへ降格した[18]。7月8日に再昇格した[19]。9月16日から22日かけて7試合で36打数18安打(打率.500)、5二塁打、1本塁打、5打点、OPS1.222などの成績を残し週間MVPを初受賞した。この年は82試合に出場して打率.309、6本塁打、22打点、7盗塁を記録した。

2014年は開幕ロースター入りし[20]、開幕から7試合で24打数13安打(打率.542)、3二塁打、1本塁打、6打点、OPS1.352などの成績を残し、2度目の週間MVPを受賞した。4月4日、チームとしてはアンドレス・ガララーガ以来19年振り2人目となる1試合6安打を記録した。途中から右翼手のレギュラーに定着し、オールスターにも初選出された。この年は154試合に出場し、自身初のメジャーでの規定打席到達となった。打率こそ.288で2年連続で打率3割とはならなかったものの、19本塁打(5本は初回先頭打者)、72打点という成績を残し、中軸打者として成長した。また走塁面ではリーグ8位となる28盗塁を記録し、俊足を発揮した。右翼の守備ではUZR-4.5、Def-7.5、DRS±0と課題を残す結果になった[21]

2015年中堅手のレギュラーに定着し、打率.287、17本塁打(6本は初回先頭打者)、58打点、176安打、リーグ3位となる43盗塁、93得点、リーグ2位となる9三塁打と活躍した。しかし、守備面ではUZR-5.4、Def-3.3、DRS-8と結果を残せなかった[22]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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