チャーマ・ラージャ3世(Chama Raja III, 1492年9月29日 - 1553年2月17日)は、南インドのカルナータカ地方、マイソール王国の君主(在位:1513年 - 1553年)。 1513年、父チャーマ・ラージャ2世が死亡したため、チャーマ・ラージャ3世が王位を継承した[1]。 チャーマ・ラージャ3世の治世は40年にも及び、その間に首都マイソールには城塞が建設された。また、彼はヴィジャヤナガル王国の君主クリシュナ・デーヴァ・ラーヤに自身の娘を嫁がせ[2]、1520年のライチュールの戦い
目次
1 生涯
2 脚注
3 参考文献
4 関連項目
生涯
1553年2月17日、チャーマ・ラージャ3世は死亡し、息子のティンマ・ラージャ2世が王位を継承した[3]。 パイス、ヌーネス; 浜口乃二雄訳 『ヴィジャヤナガル王国誌 大航海時代叢書(第U期)』 岩波書店、1984年。
脚注^ ⇒Mysore 2
^ パイス、p.248
^ ⇒Mysore 2
参考文献
関連項目
マイソール王国
オデヤ朝
表
話
編