チャンタブリー
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座標: 北緯12度36分38秒 東経102度6分15秒 / 北緯12.61056度 東経102.10417度 / 12.61056; 102.10417

チャンタブリーは郡の名前であると同時に県・自治体の名前です。県についてはチャンタブリー県を、自治体・市街地についてはテーサバーンムアン・チャンタブリーをご覧ください。

ムアンチャンタブリー郡
ムアンチャンタブリー郡の位置
情報
タイ語名??????????????????
チャンタブリー県
地理番号2201
郵便番号22000
統計
面積253.093 km2
人口119,203 人 (2005年)
人口密度471.0 人/km2
行政
郡庁所在地Wat Mai
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ムアンチャンタブリー郡はタイ中部・チャンタブリー県の郡(アムプー)。同県の県庁所在地(ムアン)でもある。
目次

1 名称

2 歴史

3 地理

4 経済

5 行政区分

6 脚注

7 外部リンク

名称

チャンタブリーとは「月の街」という意味である。古くはチャンタブーンとよばれた。
歴史

チャンタブリーは最初はチョーン族モン・クメール語族)が13世紀ごろに住み着いたのが最初と考えられ、クアンクラブリーと呼ばれる小国をチャンタブリーにつくった[1]。現在はチョーン族はカオキッチャクート郡に居住している。

アユタヤ王朝時代には重要な地方都市の一つであり[2]、「官印法」によればコーサーティボーディー(クロマター、港務省)の管轄下にあった[3]。1657年、チャンタブリーは移動させられチャンタブリー川の西側に移動した。

1767年、アユタヤ王朝が崩壊すると5000のビルマ軍がチャンタブリーを占領した。このとき、タークシン王を主と仰ぐ500人の兵士がチャンタブリーを包囲し兵糧攻めにして駆逐した。これは、チャンタブリーの人が誇りを持つ出来事である。

その後ラーマ3世(ナンクラオ)はベトナムの侵略を避けるため街を移動したが、ラーマ5世(チュラーロンコーン)は街を元あった場所に戻した。

1893年パークナーム事件が勃発するとフランス軍が駐留した、その11年後チャンタブリーはフランスに返還された。

1933年チャンタブリー県が成立。チャンタブリーは郡となった。
地理

チャンタブリー川の形成した平地にある。市内の重要な水源もチャンタブリー川である。

国道3号線が西から東南に通っており、西にラヨーン方面、東南にトラート方面とつながっている。国道317号線が東北に延びておりサケーオ方面とつながっている。国道3249号線が北に延びており、カオキッチャクート方面と通じている。
経済

郡の主要な産業は農業で、ランブータン、ドリアン、マンゴスチンなどの生産が行われている。
行政区分

郡は11のタムボンに分かれ、さらにその下位に98の村(ムーバーン)がある。自治体(テーサバーン)があり、以下のようになっている。

テーサバーンムアン・チャンタブリー・・・タムボン・タラート、タムボン・ワットマイの全体

テーサバーンタムボン・プラッププラー・・・タムボン・プラッププラー、タムボン・クローンナーラーイの一部。

テーサバーンタムボン・チャンタニミット・・・タムボン・チャンタニミット全体

テーサバーンタムボン・ターチャーン・・・タムボン・ターチャーンの一部

テーサバーンタムボン・ノーンブワ・・・タムボン・ノーンブワの一部

テーサバーンタムボン・バーンカチャ・・・タムボン・カチャの一部

また、郡内には8つのタムボン行政体(オンカーンボーリハーンスワンタムボン)がある。
タムボン・タラート・・・????????

タムボン・ワットマイ・・・???????????

タムボン・クローンナーラーイ・・・???????????????

タムボン・コクワーン・・・????????????

タムボン・コムバーン・・・?????????

タムボン・ターチャーン・・・???????????

タムボン・チャンタニミット・・・?????????????

タムボン・バーンカチャ・・・???????????

タムボン・サレーン・・・????????

タムボン・ノーンブワ・・・???????????

タムボン・プラッププラー・・・???????????

脚注^ Joachim Schliesinger: Ethnic Groups of Thailand: Non-Tai-Speaking People, Bangkok: White Lotus Press, 2000, p.71 ISBN 9789747534177
^ エレミアス・ファン・フリートはその著書で、チャンタブーンが地方国の首都だと述べている。cf. Jeremias Van Vliet: Van Vliet's Siam, Trans. L. F. van Ravenswaay, Ed. Chris Baker, Chiang Mai: Silkworm Books, 2005, p.108 ISBN 9789749575819
^ 石井米雄 「アユタヤ王朝の統治範囲を示す『三印法典』中の三テキスト」 『タイ近世研究序説』 岩波書店、1999年、pp.127-165, ISBN 9784000012898

外部リンク

amphoe.com

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更新日時:2016年4月30日(土)18:05
取得日時:2018/11/12 05:57


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