この項目では、コルベットのチャレンジャーについて説明しています。他のチャレンジャーについては「チャレンジャー」をご覧ください。
艦歴
発注
起工
進水1858年
就役
退役1878年
その後1921年にスクラップとして廃棄
除籍
性能諸元
排水量2,343トン
全長200 ft (61 m)
全幅
吃水
機関蒸気タービン、1,200hp、帆
最大速
乗員243名
兵装砲17門
HMS Challenger (HMSはHer Majesty's Shipの略)
チャレンジャー (HMS Challenger) はイギリスの軍艦、海洋調査船。この項では1858年に建造されたチャレンジャーについて解説する。本船によって行われたチャレンジャー探検(1872-1876)による海洋誌的・生物学的調査は近代海洋学の出発点となった。他のチャレンジャーと区別するため、チャレンジャー6世号と呼ばれることもある。 チャレンジャー6世号は軍艦で排水量2,300トン、船長65m、1200馬力の蒸気補助機関をもつ木製の帆船。1858年ウーリッジで建造された。国際的援助のもとに1872年12月21日から1876年5月24日にかけて、艦長ナーレス、隊長チャールズ・ワイヴィル・トムソン指揮のもと、太平洋、大西洋、インド洋、南極海の探検を行った。各地で生物学的調査をはじめ物理的・化学的調査をも行い、この観測がもとになって50巻に上る膨大なチャレンジャー報告(Challenger Reports、1885?95)が出版され、近代海洋学が創始された。探検の途次、1875年には横浜、横須賀、神戸などに寄港している。 イギリス海洋生物学の草分けといえるエドワード・フォーブスは1840年ころ、海では深さとともに生物が減り、300ファゾム(1ファゾムは約1.8m)以深は無生物帯である、とした。ところがノルウェーのミハエル・サーシュ(Michael Sars)は1850年、300ファゾム以深の海から19種もの生物を発見し、その後も無生物帯説に反する観測結果が次々と出てきた。従来、化石記録などで知られていた生物を深海から採集し、この問題に興味を持つようになっていたカーペンター
概要
探検の経緯
時代背景として、19世紀に入ってからのベリングスハウゼン、ビスコー、ロスらの盛んな海洋探検、遠距離通信手段としての海底電線の普及に伴う海洋知識の要求、帝国主義時代に入り、列強による政治的・経済的・軍事的競争の激化による自然科学の実用的な重要性の認識、などがあった。 この探検にはエジンバラ大学のトムソンを隊長とし、ジョン・マレーなどが参加。プリマス港を出港して同港にもどるまで、深海測深数492、測温採水点263、採泥数133、トロールびき151回に達した。この膨大な資料の解析や研究に伴い、エジンバラ大学はその後20年間、世界の海洋研究の中心となった。その成果は50巻にのぼる報告書として1880年‐1895年に刊行され、その後ながらく海洋研究の宝典となった。おもな結果は、ディットマーの原理
探検の成果
関連項目
チャレンジャー号探検航海
調査船
チャレンジャー (測量艦)