チャック・フィンリー
Chuck Finley現役時代
(1996年6月8日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ルイジアナ州モンロー
生年月日 (1962-11-26) 1962年11月26日(61歳)
身長
体重6' 6" =約198.1 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り1985年 ドラフト1巡目
初出場1986年5月29日
最終出場2002年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ノースイースト・ルイジアナ大学
チャールズ・エドワード・フィンリー(Charles Edward Finley, 1962年11月26日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州モンロー出身の元プロ野球選手(投手)。 1984年のMLBドラフトでカリフォルニア・エンゼルスから15巡目に指名を受けるが契約せず。 1985年1月の2次ドラフトでエンゼルスから1巡目(全体4位)に指名を受け入団。 1986年はA級で10試合に登板し、12イニングを無失点に抑える好投を見せ、一気にメジャー昇格を果たした。5月29日のデトロイト・タイガース戦でデビュー。ほとんどが敗戦処理としての起用だったが、3勝1敗、防御率3.30の成績を残す。チームは地区優勝し、ポストシーズンのロースター入りを果たす。ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでも3試合に登板し無失点に抑えたが、チームは3勝4敗で敗退しリーグ優勝を逃した。 1987年は2勝7敗、防御率4.67に留まる。 球団はオフに大ベテランドン・サットンを解雇し、ジェリー・ロイスとも再契約しなかったため、1988年は先発に転向するが9勝15敗、防御率4.17に終わる。 1989年5月26日のレッドソックス戦で、被安打1でメジャー初完封を記録。6月24日のボルチモア・オリオールズ戦で15奪三振完投勝利を挙げるなど前半戦で10勝を記録し、オールスターゲームに初めて選出される。最終的に16勝9敗、防御率2.57を記録した。 1990年はフリーエージェントで加入したマーク・ラングストン、前年にデビューしたジム・アボットと左腕トリオを組み、前半戦で11勝を記録し、2年連続のオールスターゲームに選出される。18勝9敗、防御率2.40を記録し、サイ・ヤング賞の投票で7位に入る。オフの日米野球に参加し、最終第8戦でランディ・ジョンソンとの継投でノーヒットノーランを達成した[1]。 1991年は前年に続き18勝を記録するが、防御率は3.80と大幅に悪化した。 1992年は不調で7勝12敗に留まるが、1993年に16勝14敗、防御率3.15、リーグ最多の13完投を記録し復活。 1994年は1994年から1995年のMLBストライキでシーズンが打ち切られたが、リーグ最多の183.1イニングを記録。 1995年は開幕から4連敗を喫するが、5月23日のニューヨーク・ヤンキース戦で15奪三振完封勝利。5年ぶりにオールスターゲームに選出され、15勝を挙げる。チームは2位に最大11ゲーム差を付け、地区優勝をほぼ手中に収めていたが、終盤に2度の9連敗を喫してシアトル・マリナーズと同率で並ばれ、ワンゲーム・プレーオフで敗れて地区優勝を逃した。オフにフリーエージェントとなるが再契約。 1996年は15勝、キャリアハイの215奪三振を記録。1997年は故障で25試合の登板に留まる。同年ホワイトスネイクのプロモーション・ビデオ、"Here I Go Again"
経歴
エンゼルス時代
1998年、1999年は共に2桁勝利・200イニング・200奪三振を記録した。オフに再びフリーエージェントとなった。 1999年12月16日にクリーブランド・インディアンスと契約。 2000年は4年ぶりにオールスターゲームに選出され、16勝11敗、防御率4.17の成績を残したが、チームは地区6連覇を逃し、ワイルドカード争いでもマリナーズに1ゲーム差で敗れた。 2001年は首と左肩の筋痙攣で故障者リスト入りし[3]、22試合の登板に留まったが、チームは地区優勝を果たす。15年ぶりのポストシーズンとなったマリナーズとのディビジョンシリーズでは第2戦と第5戦に先発したが2敗、防御率7.27と振るわず、チームも2勝3敗で敗退した。 2002年は開幕3連戦が敵地での古巣エンゼルス戦であったため、ニューポートビーチにある自宅に滞在していた。試合のなかった4月1日の夜に妻と夕食に出掛けたが、帰りの車中で口論となり、運転中にもかかわらず興奮した妻に耳をつね上げられ、ハイヒールで腕や足などを所構わず蹴られた。何とか愛車レンジローバーをコントロールし自宅に辿り着いたが、匿名の通報により警察が到着、彼の傷を見てタウニーを逮捕し48時間拘束した[2][4][5]( ⇒逮捕時の写真)。妻へのDVで逮捕されたメジャーリーガーにはペドロ・アスタシオやフリオ・ルーゴなどがいるが、逆のケースついては表面化することが少ないこともあり、世間の注目を集めた[6]。彼女は前年11月にも車へのいたずらで逮捕されており、4月18日には裁判が開かれる予定であった[7]。4月3日の登板予定日に彼は球場に現れず、GMのマーク・シャパイロに「球場に行くって気分じゃないし、今日は投げられないと思う」と電話をかけ、急遽ライアン・ドリース
インディアンス時代
DV被害事件