チャック・シュルディナー
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チャック・シュルディナー
Chuck Schuldiner
スコットランドでのツアー中に撮影 (1992年)
基本情報
出生名チャールズ・マイケル・シュルディナー
Charles Michael Schuldiner
別名デスメタルの父 (The Father of Death Metal)
イーヴル・チャック (Evil Chuck)[1]
生誕1967年5月13日
アメリカ合衆国
ニューヨーク州 ナッソー郡
グレン・コーヴ
出身地 アメリカ合衆国 フロリダ州
死没 (2001-12-13) 2001年12月13日(34歳没)
ジャンルデスメタル
テクニカルデスメタル
プログレッシヴデスメタル

スラッシュメタル
プログレッシヴメタル
ヘヴィメタル[2][3][4]
職業ボーカリスト
ギタリスト
ベーシスト
作曲家
作詞家
担当楽器
ギター
ベース
活動期間1983年 - 2001年
共同作業者デス
マンタス

コントロール・ディナイド(英語版)
スローター(英語版)
ヴードゥーカルト
公式サイト ⇒www.emptywords.org
著名使用楽器
B.C. Rich Stealth model
B.C. Rich Mockingbird model
B.C. Rich Ignitor model

チャック・シュルディナー(Chuck Schuldiner、1967年5月13日 - 2001年12月13日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州生まれ、フロリダ州出身のヘヴィメタルミュージシャンボーカリストギタリスト)。

1983年に結成されたデスメタルバンドデス (Death)[注釈 1]ボーカリストギタリスト作曲家作詞家として著名。また、プログレッシヴ・メタル・バンド、コントロール・ディナイド (Control Denied)等でもギタリスト、作曲家として活動した。シュルディナーは、しばしば「デスメタルの父」(The father of Death Metal)と呼ばれ[5][6][7]2002年1月5日イギリス音楽雑誌ケラング!』の死亡記事では、「チャック・シュルディナーは、メタルの歴史の中で最も重要な人物の一人であった」 (原文:Chuck Schuldiner was one of the most significant figures in the history of metal.)と述べられていた[8]。ただし、シュルディナー自身は、自身のデスメタルへの貢献については控え目な態度を示しており、「俺がデスメタルに関する名声を得るべきだとは思わないよ。俺はただバンドの一員で、デスはメタルバンドだと思う」 (原文: I don’t think I should take the credits for this death metal stuff. I'm just a guy from a band, and I think Death is a metal band.)と述べていた[6]。シュルディナーは、2009年のジョエル・マクアイヴァーの本『The 100 Greatest Metal Guitarists』において10位にランキングされ、2004年3月の『ギター・ワールド』誌の「The 100 Greatest Metal Guitarists」においては20位にランキングされた[9]。シュルディナーは、1987年にミューティレーション・ミュージック (Mutilation Music)を起業している。同社は、ブロードキャスト・ミュージック(英語版)と提携していた。
略歴
生い立ち

チャック・シュルディナーは、1967年5月13日アメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランドで誕生した。出生名はチャールズ・マイケル・シュルディナー (Charles Michael Schuldiner)。父はオーストリア系ユダヤ人、母はアメリカ合衆国南部の出身でユダヤ教に改宗していた[10]。両親は共に教師であった。1968年にシュルディナーの一家はフロリダ州に転居している。チャックは3人兄弟の末っ子で兄と姉がいた。

シュルディナーがギターを弾くようになったのは、9歳の時であった。7歳年上で16歳だったシュルディナーの兄が亡くなり[11]、両親がシュルディナーの悲しみを癒そうとギターを買ったのがきっかけである[12]。シュルディナーはクラシック音楽のレッスンを受けるようになるが、シュルディナーの大して好きでもない「メリーさんのひつじ」を教えるこのレッスンには1年も通うことはなかった。このため、シュルディナーは両親がガレージセールでエレクトリック・ギターを見つけて買い与えるまで、ギターを弾くことはほとんど無くなってしまっていた。エレクトリック・ギターを手にしたシュルディナーはすぐにそれに熱中するようになる。アンプを手に入れると、演奏、作曲などの練習をひたすら続けるようになる。シュルディナーは週末になるとガレージか彼の部屋でギターを弾いて過ごしていたが、その一方で平日はギターの演奏は3時間のセッションに制限されていた。シュルディナーが最初にギターを公の場で演奏したのは、十代前半である。

シュルディナーは元々アイアン・メイデンキッスビリー・アイドル等に影響を受けていた。その中でも特に興味を持っていたのは、当時のヘヴィメタルムーヴメントであったNWOBHM (New Wave of British Heavy Metal)で、お気に入りのバンドとしてそのムーヴメントに属しているバンドを挙げている。またシュルディナーは、しばしばフランスのヘヴィメタル・バンド、Sortilegeをお気に入りのバンドとして挙げている。また、スレイヤーポゼストマーシフル・フェイト/キング・ダイアモンドメタリカは、後にシュルディナーが率いるバンドに影響を与えた。シュルディナーのミュージシャンのキャリアの後期には、ウォッチタワークイーンズライクなどのプログレッシヴ・メタル・バンドからも影響を受けた。シュルディナーの公式ウェブサイトである「empty words」によれば、シュルディナーはカントリー・ミュージックラップ以外の音楽を楽しんでいたとシュルディナーの母が証言している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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