チャイナタウン
チャイナタウンのキャナル・ストリートからモット・ストリート
発音記号
標準中国語
漢語?音Ni?yu? Hua Bu
通用?音Ni?uyue Hua Bu
ウェード式Niu3yue1 Hua2 Pu4
IPA[njò???́ xwǎ pû]
国語ローマ字Neouiue Hwabuh
粤語
イェール粤?Nyouywe Hwabu
IPA[n??uj???k w??pou]
粤?Nau2yeuk3 Waa4 Fau6
?南語
?南語白話字Niu-iok Hoa-bu
マンハッタンのチャイナタウンはニューヨーク都市圏に少なくとも9つあるチャイナタウンの中では最古の歴史を持つ。
チャイナタウン(Chinatown, 紐約華埠, ニウユエファーブー)は、ニューヨーク市マンハッタン区にある中華街である。
シヴィック・センターの北、リトルイタリーの南、トライベッカの東、ロウアー・イースト・サイドの西に位置する。北米最大規模の中華街であり、西半球で最大の中国人移民人口を抱える[1][2][3][4][5]。中国系移民が経営する商店が並び、漢字の看板が目に付くエリアである。近年は本来のチャイナタウンであるリトルイタリー南方から周辺のエリアに拡大している。
北米の中国人居住地としては最も古いうちの一つである。主に広東語および?語を母語とする人たちが大部分だが、近年では官話を話す人たちも増えつつある。アジアの外のチャイナタウンでは最大の約735,000人の人口を持つ[6]。
チャイナタウンの東のエリアは近年、主に福建省からの中国系移民が流入しており、チャイナタウンの一部と見なされ、小福州 (en) と呼ばれている
ニューヨークの他のチャイナタウンはクイーンズ区(定義により2または3箇所)[7]、ブルックリン区(3箇所)、ナッソー郡、ロングアイランド、そしてニュージャージー州エジソンなどにある[8]。 かつて、この地区には20ha程の池が存在したが1811年に埋め立てられ、周囲の道路を延長する形で区画整理が行われた。その結果"五差路"の交差点が出来、この地区はファイブ・ポインツ という地名で呼ばれることになった。地盤が軟弱で水はけが悪いため、低家賃の住宅地となり、主に貧しい移民が住むようになった。最初は黒人やアイルランド人、東欧出身のユダヤ人などが住んでいた。 1812年にはファイブ・ポインツの南にニューヨーク市庁舎が完成し、裁判所や警察署、保健所などの行政機関が次々に建設され、シヴィック・センター と呼ばれる官庁街となった。これらの役所で働く職員を目当てに商売人が次第に集まり始めた。1850年代にはイタリア移民が住むようになり、リトルイタリーが形成され始めた。
歴史