チャイナエアライン
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「中華航空」はこの項目へ転送されています。日中戦争期の航空会社については「中華航空 (1938-1945年)」をご覧ください。

中華人民共和国の航空会社で「エアチャイナ」と呼称される「中国国際航空」とは異なります。

チャイナエアライン
China Airlines
中華航空

IATA
CIICAO
CALコールサイン
DYNASTY

法人番号8700150001166
設立1959年12月16日
ハブ空港台湾桃園国際空港
焦点空港香港国際空港
高雄国際空港
台北松山空港
マイレージサービスDynasty Flyer
会員ラウンジDynasty Lounge
航空連合スカイチーム
スカイチーム・カーゴ(チャイナエアライン・カーゴ)
親会社China Airlines Group
子会社マンダリン航空タイガーエア台湾
保有機材数89機(31機発注中 B787を含む)
就航地156都市
本拠地 中華民国台湾
桃園市大園区
代表者謝世謙(董事長)
従業員数12,425名
外部リンクhttps://www.china-airlines.com/
備考
日本支社所在地
東京都千代田区内幸町1丁目2番1号
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中華航空股?公司
各種表記
繁体字:中華航空股?公司
簡体字:中?航空股?公司
?音:Zh?nghua Hangk?ng G?fen G?ngs?
英文:China Airlines, Limited
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CAL Park - チャイナエアラインの本社 (新)チャイナエアラインの本社 (旧)

チャイナエアライン(中国語: 中華航空、ちゅうかこうくう、英語: China Airlines)は、台湾[1]最大手の航空会社フラッグ・キャリア)。中国語の略称は華航(フォアハン)。
概要尾翼に大きく描かれた梅のロゴ

チャイナエアライン(IATA2レターコード:CI;ICAO3レターコード:CAL;コールサイン:Dynasty;台北証券取引所: ⇒2610)は台湾桃園市に本社を置く台湾の航空会社である。

正式名称は、中国語圏で「中華航空公司」、大韓民国で「????」(中華航空)、日本を含めた他の地域においては「チャイナ エアライン(China Airlines)」であるが、現在も一部案内や報道では、日本における登記上の名称である「中華航空」と呼称される場合もあり、公式ウェブサイトでも「チャイナ エアライン(中華航空)」とページタイトルを付けている。なお、名称が似ている中国国際航空(Air China、エア・チャイナ)は中華人民共和国民用航空局(中国民航)系の航空会社であり全く関係がない。

社名の「中華(China、チャイナ)」は台湾の国号、中華民国(Republic of China)に由来する。これは設立当時は台湾の政府、中華民国が自身を中国を唯一代表する政府と主張していたためである。英語の社名に「China」と入っていることから、中華人民共和国の航空会社だと誤解されるとして社名変更を呼び掛ける動きがあるが、改名にかかるコストが約40億円かかると試算されており、また台湾独立の動きとして中国の反発を招き、社名変更後に中国からの圧力によって運航に支障がでる可能性も指摘されている[2]。一方で、新塗装の貨物機では、従来は前方に印字されていた社名の「CHINA AIRLINES」のロゴが従来よりも文字が小さくなり尾部に移され、代わりに胴体の前方に描かれた「CARGO」の「C」の文字の中に台湾本島のイラストが組み込まれ、中国の航空会社に間違えられるのを避けるようなデザインとなった[3]
歴史

1959年12月、中華民国空軍退役軍人らによって「中華航空公司」が設立された[4]

当時、中華民国(台湾)のフラッグキャリアは民航空運公司(CAT)であった。民航空運公司は1946年アメリカOSS(のちのCIA)の後押しで「民航空運隊」の名で設立された。
国共内戦で国民党軍が敗れて台湾に逃れた際、当時の中国のフラッグキャリアであった中国航空公司(中航)と中央航空公司(央航)の2社の従業員は旅客機とともに集団で共産党軍に投降し(両航事件(中国語版))、中華民国は民航空運隊以外の航空会社を喪失した。民航空運隊は台北から各国への海外路線を運営し、1955年には外資色を薄めて「民航空運公司」と改称したが、米軍およびCIAのための運送や諜報なども行うなど米軍色が色濃かった。中華民国交通部および国防部空軍司令部は、CATとは違い外国勢力の影響の及ばない、中華民国のみが影響を行使できるフラッグキャリアの設立を意図し、中華航空公司の創設につながった。

当初は水陸両用機PBY-5Bを利用した台北 - 日月潭の不期便運航からスタートし、金門馬祖への軍事物資や人員の輸送、軍幹部の輸送により会社の規模を拡大した。

1962年よりDC-3、DC-4、YS-11を導入し、本格的に民間航空輸送業務を開始。同年10月に開始した台北 - 花蓮線は中華航空で初めての定期路線となった。

1966年にはサイゴン(現・ホーチミン)線、1967年には東京・大阪・沖縄線が就航し、アジアにネットワークを拡大。

1970年には自社初のジェット機であるボーイング707を導入、台北 - 東京 - サンフランシスコ線に就航し、台湾のフラッグキャリアとしての地位を確立。

1983年、バンコク経由アムステルダム線を開設。台湾の航空会社で初めてのヨーロッパ路線となる。

1991年、中国政府による「一つの中国」政策により、定期便の就航が継続できない地域への航空路確保を目的に、和信グループとの合弁でマンダリン航空を設立。

1993年より台湾証券取引所に上場した。

機体の塗装は、かつては真ん中に中華民国の国旗(青天白日満地紅旗)が、他の国家の航空会社と同様に、小さく描かれていた。しかし中国共産党が、香港返還後の中国領土となった香港国際空港への乗り入れを盾に圧力をかけたため、1995年より中華民国の国花であるの花弁をトレードマークとして採用している。

同時に機体の社名表記は「中華航空公司」から「CHINA AIRLINES」へと変更されたが、「華航」という印影のデザインは残されている。呼出符号として用いられる「ダイナスティ(Dynasty)」は、英語の「王朝」という意味で、機内誌・各種サービスの名称にも使われる。

2003年、54年間凍結されていた中国大陸行き直行便を運航。初めは上海行き春節チャーター便にて、2008年より各地に定期便として就航。

2006年、本社を台北市から桃園空港に隣接するCAL Parkへ移転。台北市のオフィスは台北支店として存続。

2010年9月14日に、航空連合スカイチームへの加盟に調印、2011年9月28日に正式加盟[5][6]。これを記念して、スカイチーム特別塗装を施したボーイング747-400(機体記号:B-18211[7])、エアバスA330-300(B-18311)を運航している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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