チャイコフスキーの家博物館
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2017年12月)

チャイコフスキーの家博物館


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施設情報
専門分野博物館
所在地141600, Московской обл., г. Клин, ул. Чайковского, 48.
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯56度19分44秒 東経36度44分49秒 / 北緯56.32889度 東経36.74694度 / 56.32889; 36.74694
外部リンクhttps://tchaikovsky.house/
プロジェクト:GLAM
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国立チャイコフスキーの家博物館(こくりつチャイコフスキーのいえはくぶつかん、: Государственный дом-музей П. И. Чайковского)は、モスクワの85キロメートル北西に位置するクリンに建つ田舎の家屋である。作曲家ピョートル・チャイコフスキー1892年5月から1893年にこの世を去るまでの期間をこの家で過ごし、最後の大作となった交響曲第6番を書き上げた。建物は現在、博物館となっている。
クリンでのチャイコフスキーチャイコフスキーの家のサロン、ピアノとデスクが置かれている。寝室から庭を見渡すテーブル。ここで交響曲第6番が作曲された。

1885年にチャイコフスキーは彼の友人、パトロンに宛てて次のように書き送っている。「近頃、私はモスクワからそう遠くない村に落ち着くことを夢見ています。これ以上彷徨うことはできません、くつろげる場所にたどり着き、その場所に留まりたいと心から願っているのです。」同年のはじめに彼はクリンから2キロメートルのマイダノヴォ(Майданово)という小さな村に、つつましい家を借りることにしている。その後、1888年から1891年にかけては近隣の別の村、フロロフスコエ(Фроловское)での借家住まいであった[注 1]。チャイコフスキーがマイダノヴォの家に暮らしたのは1885年2月から1888年3月までの期間である。その家屋はセストラ川の岸に建ち、複数の池を持ちシナノキの古木が生える広い庭があったが、そこには草が生い茂っていた。その場所はモスクワやサンクトペテルブルク行きの列車が出る鉄道駅からは遠くなかったものの、市街地からの距離は望まない客人を寄せ付けないには十分であり、そうした人々に煩わされずに済んだのである。マイダノヴォの家で彼は1874年に作曲した古いオペラ鍛冶屋のヴァクーラ』の改訂に取り掛かり、これを新たなオペラ『チェレヴィチキ』へと作り変えている。他にもマンフレッド交響曲やオペラ『チャロデイカ』が書かれた。チャイコフスキーは午後になると雑誌や書籍を読み、ピアノを弾き、客人と会話を交わし、森を散策し、キノコを採り、庭いじりをし、泳いだ。

チャイコフスキーにとって不運だったのはマイダノヴォを訪れる行楽客の増加に伴い、彼に会いたがる人の人数も増えてきたことだった。3か月のヨーロッパへの演奏旅行を終えた彼は同じ地方、フロロフスコエの村にある別の家に移ることを決意した。その後、1892年に弟のアナトーリへこう綴っている。「私はクリンに住むため家を借りました。見たことがあるんじゃないでしょうか、サハロフス(Sakharovs)の家、大きくて快適、町外れにありモスクワへの交通の便も良い(中略)郊外、もしくはほとんど同じですが、クリンに家を持たねばなりません - そう感じています。仕事をするのに落ち着いた静かな場所が、いつでも望むときに確かに得られるようにするためです。加えて、私はクリンに慣れてしまいました。家の中からの眺めは実に素晴らしい、相当な大きさの庭があるのです。将来この家を買い取ることも考えています。」

クリンの家に住む間にチャイコフスキーは『イオランタ』と『くるみ割り人形』の総譜の校正を完了し、18のピアノ小品 作品72、四重唱『夜』、『D.M.ラートガウスの詞による6つの歌』 作品73、そして交響曲第6番を書いている。

1893年10月3日ピアノ協奏曲第3番を完成したチャイコフスキーは同月7日にモスクワへ向けてクリンを発ち、続いて交響曲第6番の初演を指揮すべくサンクトペテルブルクへと向かった。そのままサンクトペテルブルクにて10月25日新暦11月6日)に53歳で帰らぬ人となった。
チャイコフスキーの仕事習慣

チャイコフスキーのクリンでの日課について、彼の弟で伝記作家でもあるモデスト・チャイコフスキーが次のように記している。「ピョートル・イリイチは朝の7時から8時の間に目覚める。紅茶を飲み読書をした後で散歩へ赴き、大抵の場合1時間ほどは帰ってこない。朝食の際に話し込んだり誰かのところへ出かけてしまう場合、チャイコフスキーはその日作曲しないのだということが知れた。そうでないのならオーケストレーションや校正作業、もしくは手紙を書くのに忙しいのである。

夕食を取ると、その後はどんな天気だろうと再び散歩に出かけていた。散歩をして独りになるということは、仕事中に独りになること同様に彼にとって必要なのであった。そうした時間に楽曲の主題について熟慮し、今後の作曲に関する構想を練ったのだ[1]。」
チャイコフスキーの家の内部

家屋は1870年代にV.S.サハロフによって建築された。土地はニコライ1世よりサハロフの一家に贈られたものであったが、一家が使用することはほとんどないままチャイコフスキーへ貸し渡され、その後売却された。チャイコフスキーはその2階に居住し、1階には使用人のアレクセイ・ソフロノフ(Alexei Sofronov)とその家族が住んだ。キッチンとダイニングも1階にあった。

応接室と書斎は2階のピアノが置かれた部屋で、建物中で最大の部屋である。ピアノはベッカー製で、チャイコフスキーがはじめてマイダノヴォにやってきた1885年にサンクトペテルブルクの会社から彼に贈られた楽器である。チャイコフスキーはコンサートホールで聴衆に向けてピアノを弾くことはなかったが、家では訪問客に弾いて聴かせることもあり、訪れた音楽家とは重奏を楽しんだ。彼は夕べの余興として多くの場合文学作品の音読も行っていた[2]

チャイコフスキーが毎朝食後に手紙を書いていた書き物机は部屋の端に置かれている。机を見下ろす位置にはサンクトペテルブルク音楽院の創設者で彼に楽器法と作曲を最初に教えたアントン・ルビンシテインの肖像画が掲げられている。ルビンシテインの真下の位置にある肖像画はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのものである。


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