チップ・ガナッシ・レーシング
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チップ・ガナッシ・レーシング

チップ・ガナシー・レーシング
ガナッシのマシン(インディカー・シリーズ)

チップ・ガナッシ・レーシング(Chip Ganassi Racing)は、アメリカ合衆国のレーシングチームの一つ。1990年に元インディカードライバーのチップ・ガナッシが設立した。本拠地はノースカロライナ州コンコード

2018年現在はインディカー・シリーズNASCARWECUSCCに参戦している。米国の大手小売店であるターゲットが長年メインスポンサーを務めていたことで知られる。
歴史
オープンホイール

1989年、チップ・ガナッシが共同オーナーを務めていたパトリック・レーシングの創設者、パット・パトリックの引退に伴い(後に引退は撤回)、チームの資産とマシン・エンジン契約(パトリック・レーシングはペンスキー・レーシングからシャーシーの提供を受けており、イルモアシボレーエンジンの搭載もセットで契約されていた)を引き継ぐ形で1990年にチームを設立。インディカーワールドシリーズ(後のCART、チャンプカー)への参戦を開始。1996年には、ジミー・バッサー、1997年・1998年にはアレックス・ザナルディ、1999年にはファン・パブロ・モントーヤが同チームでシリーズチャンピオンを獲得するなど、チャンプカーの強豪チームとして成功を収めたが、2002年にチャンプカーのエンジンレギュレーションを巡る混乱でトヨタホンダが相次いでインディカー・シリーズ(IRL)に移籍した際に、それに追随する形でチャンプカーから撤退した。

インディカー・シリーズには2000年からインディ500のみ参戦していたが、2002年より試験的にシーズンエントリーを開始し、2003年にそれまでチャンプカーに参戦していた主力がチームごとインディカー・シリーズに移籍して本格的な活動をスタート。2003年、2008年、2013年、2015年にスコット・ディクソンが、2009年から2011年にダリオ・フランキッティがシリーズチャンピオンを獲得している。2014年現在は、チーム・ペンスキーアンドレッティ・オートスポーツと並ぶ、インディカー・シリーズにおける「3強」の一角を占めている。2011年にはファクトリーを増設しこれまでの2台体制から一気に4台体制になった。

2013年7月7日、24年ぶりに開催されたポコノ・インディ400レースにおいて、スコット・ディクソン、チャーリー・キンボール、ダリオ・フランキッティにより、チーム初となる1-2-3フィニッシュを達成。また、この勝利は、ディクソンの通算30勝目(歴代10位)、ツーリングカーやNASCAR等を含めたターゲット・チップ・ガナッシ・レーシング通算100勝目、エンジンサプライヤーであるホンダのインディ通算200勝目であり、記録ずくめの週末となった[1][2][3]

ターゲットはディクソンとフランキッティのスポンサーを務めるが、他にもグラハム・レイホールにはオーストラリアのサービスセントラル社、キンボールにはデンマークのノボノルディスク[注 1]NTTデータ[注 2]がスポンサーについている。

2018年から再び2台体制に縮小。キンボールとマックス・チルトントニー・カナーンの3人はチームから離脱。ディクソンは残留し、2017年のインディカー・ルーキー・オブ・ザ・イヤーのエド・ジョーンズがデイル・コイン・レーシングから移籍加入した。また、ディクソンのプライマリースポンサーにPNCバンク(英語版)が新たに就任した。

2019年にはディクソンのチームメイトとしてフェリックス・ローゼンクヴィストが2年間在籍し、2023年現在はアレックス・パロウが10号車をドライブしている。

このほか、元F1ドライバーのマーカス・エリクソンが2020年に加入。車番は8を使用し、プライマリースポンサーにはハスキー・チョコレートが就任した。
NASCAR

NASCARには2001年に、中堅チームの「チーム・サブコ(Team SABCO)」を買収する形で参戦を開始。2006年にはF1マクラーレンを離脱したモントーヤを自チームよりNASCARに参戦させているほか、2008年には前年のIRLチャンプであるダリオ・フランキッティがNASCAR転向と同時に同チームに移籍してきた。ただ、ロードコースでこそモントーヤが2007年に1勝を挙げているものの、オーバルレースではあまりいいところがなく、フランキッティは1年限りでIRLへ復帰するなど、苦戦を強いられた。


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