古代都市
チチェン・イッツァ
(メキシコ)
カスティーヨ、またはククルカンの神殿
英名Pre-Historical City of Chichen Itza
仏名Ville prehispanique de Chichen - Itza
登録区分文化遺産
登録基準(1), (2), (3),
登録年1988年
備考N20 40 W88 36
公式サイト世界遺産センター
チチェン・イッツァ(スペイン語: Chichen Itza)は1988年に世界遺産に登録されたメキシコ南部のユカタン半島にある[1]マヤ文明の遺跡。チチェン・イッツア[2]、チチェン・イツァー[3]とも表記する。目次 ユカタン半島のユカタン州州都メリダの東、約120キロメートルにある後古典期マヤの遺跡で総面積は約1.5平方マイル。半島のつけ根の密林にある。現在、高速道路により分断されているが、北部はトルテカ期、南部にはプウク期の建物が残っており、南北での町の構成がはっきりと違いを見せている。 チチェン・イッツァとはマヤ語で「聖なる泉のほとりの水の魔法使い」を意味する。 古典期を代表するティカルなどのマヤ中央部の諸都市は9世紀に崩壊して、ほとんど無人に近い状態になり、後古典期には北部と南部高地に人口が集中した[4]。チチェン・イッツァは北部マヤの中心地であるが、その遺物は中央メキシコ(トルテカ)の強い影響を受けて、マヤとメキシコの混合した国際的な特徴を示す。 プウク式の建物に残る碑文は多くカクパカル・カウィール(在位869-881ごろ)に関連する[5]。 13世紀以降になるとチチェン・イッツァは衰退し、中心地は西のマヤパンに移るが、マヤパンもシウ家の攻撃によって1441年ごろに放棄された[4]。チチェン・イッツァがいつ滅んだかは不明だが、セノーテ(井戸)はスペイン人による植民地化の後も長く巡礼地として機能した[5]。 マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッド。基底55.3メートル四方、高さ24メートル(頂上の神殿部分は6メートル)。通称の「カスティーヨ」はスペイン語で城塞の意。「ククルカンのピラミッド」、「ククルカンの神殿」とも呼ばれる。 大きな9段の階層からなり、4面に各91段の急な階段が配されていて、最上段には真四角な神殿がある。ピラミッドの階段は、4面の91段を合計すると364段で、最上段の神殿の1段を足すと、ちょうど365段である[6]。また1面の階層9段は階段で分断されているので合計18段となり、これらはマヤ暦の1年(18か月5日)を表す。このことから「暦のピラミッド」とも呼ばれる。北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日・秋分の日に太陽が沈む時、ピラミッドは真西から照らされ階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が現れ、ククルカンの降臨と呼ばれている。 カスティーヨ内部には初期のトルテカ=マヤ方式のピラミッドが内蔵されており、この神殿にはジャガーをかたどった玉座や生贄の心臓を太陽へ捧げたチャクモール像が置かれている。 球戯場はほとんどのマヤ遺跡に存在するが、チチェン・イッツァのものは特に大きい。 マヤの球戯は2つのチームに分かれ、ゴムで作られた非常に重いボールを腰で打って相手側のコートに入れる。チチェン・イッツァの球戯場には両側の高さ6メートルの所に石の輪があり、これは後古典期の特徴である。輪の中にボールを通すと即座に勝ちになったらしいが、現実に行うことは困難と思われる。
1 概要
2 歴史
3 カスティーヨ
4 球戯場
5 セノーテ(聖なる泉)
6 天文台
7 世界遺産登録基準
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
概要
歴史
カスティーヨ カスティーヨ
球戯場 球戯場の大きさの比較詳細は「メソアメリカの球戯」を参照