チチェン・イツァ
[Wikipedia|▼Menu]

古代都市
チチェン・イッツァ
メキシコ

カスティーヨ、またはククルカンの神殿
英名Pre-Historical City of Chichen Itza
仏名Ville prehispanique de Chichen - Itza
登録区分文化遺産
登録基準(1), (2), (3),
登録年1988年
備考N20 40 W88 36
公式サイト世界遺産センター(英語)
使用方法表示
チチェン・イッツァ チチェン・イッツァの位置

チチェン・イッツァ(スペイン語: Chichen Itza)は1988年世界遺産に登録されたメキシコ南部のユカタン半島にある[1]マヤ文明遺跡。チチェン・イッツア[2]、チチェン・イツァー[3]とも表記する。目次

1 概要

2 歴史

3 カスティーヨ

4 球戯場

5 セノーテ(聖なる泉)

6 天文台

7 世界遺産登録基準

8 脚注

9 参考文献

10 関連項目

概要

ユカタン半島ユカタン州州都メリダの東、約120キロメートルにある後古典期マヤの遺跡で総面積は約1.5平方マイル。半島のつけ根の密林にある。現在、高速道路により分断されているが、北部はトルテカ期、南部にはプウク期の建物が残っており、南北での町の構成がはっきりと違いを見せている。

チチェン・イッツァとはマヤ語で「聖なる泉のほとりの水の魔法使い」を意味する。
歴史

古典期を代表するティカルなどのマヤ中央部の諸都市は9世紀に崩壊して、ほとんど無人に近い状態になり、後古典期には北部と南部高地に人口が集中した[4]。チチェン・イッツァは北部マヤの中心地であるが、その遺物は中央メキシコ(トルテカ)の強い影響を受けて、マヤとメキシコの混合した国際的な特徴を示す。

プウク式の建物に残る碑文は多くカクパカル・カウィール(在位869-881ごろ)に関連する[5]

13世紀以降になるとチチェン・イッツァは衰退し、中心地は西のマヤパンに移るが、マヤパンもシウ家の攻撃によって1441年ごろに放棄された[4]。チチェン・イッツァがいつ滅んだかは不明だが、セノーテ(井戸)はスペイン人による植民地化の後も長く巡礼地として機能した[5]
カスティーヨ カスティーヨ

マヤの最高神ククルカン羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルマヤ語名)を祀るピラミッド。基底55.3メートル四方、高さ24メートル(頂上の神殿部分は6メートル)。通称の「カスティーヨ」はスペイン語で城塞の意。「ククルカンのピラミッド」、「ククルカンの神殿」とも呼ばれる。

大きな9段の階層からなり、4面に各91段の急な階段が配されていて、最上段には真四角な神殿がある。ピラミッドの階段は、4面の91段を合計すると364段で、最上段の神殿の1段を足すと、ちょうど365段である[6]。また1面の階層9段は階段で分断されているので合計18段となり、これらはマヤ暦の1年(18か月5日)を表す。このことから「暦のピラミッド」とも呼ばれる。北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日秋分の日太陽が沈む時、ピラミッドは真西から照らされ階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が現れ、ククルカンの降臨と呼ばれている。

カスティーヨ内部には初期のトルテカ=マヤ方式のピラミッドが内蔵されており、この神殿にはジャガーをかたどった玉座や生贄の心臓を太陽へ捧げたチャクモール像が置かれている。
球戯場 球戯場の大きさの比較詳細は「メソアメリカの球戯」を参照

球戯場はほとんどのマヤ遺跡に存在するが、チチェン・イッツァのものは特に大きい。

マヤの球戯は2つのチームに分かれ、ゴムで作られた非常に重いボールで打って相手側のコートに入れる。チチェン・イッツァの球戯場には両側の高さ6メートルの所に石の輪があり、これは後古典期の特徴である。輪の中にボールを通すと即座に勝ちになったらしいが、現実に行うことは困難と思われる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:35 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef