シティ・オブ・チチェスター.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
英語: City of Chichester
シティ
上から時計回りにマーケット・クロス、フェスティバル劇場、パラント・ハウス・ギャラリー、ギルドホール、大聖堂
紋章
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面積10.67 km2 (4.12 sq mi) [1]
人口26,795人 [2] (2011)
- 人口密度2,225/km2 (5,760/sq mi)
住民の呼称Cicestrian[3]
英式座標
チチェスター(Chichester)は、イギリスのイングランド南東部、ウェスト・サセックス州西端に位置する都市である。発音は、最初の「チ」にアクセントが置かれた「チチスター」に近い。
古代ローマ期に遡る歴史があり、続くアングロ・サクソン(七王国)期にも重要な都市であった。英国教会の主教座が置かれており、大聖堂は12世紀に遡る歴史がある。現在のチチェスターは地方行政の拠点であり、3つの異なるレベル(州、ディストリクト、市)の行政機構が集まっている。また、交通の要衝であり、チチェスター・フェスティバル劇場や、二つの美術館もあって、この地方の文化面の中心地でもある。近傍にはチチェスター・ハーバーやサウスダウンズがあり、海や丘陵での屋外活動の機会が豊富にある。
歴史主要記事:Noviomagus Reginorum
この地域は、ローマ帝国によるブリテン島侵入の橋頭堡であったと考えられている。現在の市街地中心部は、ローマ期の宮殿に近く、この地域の中心都市であったノウィオマグス・レギノルム (Noviomagus Reginorum) の上に築かれている(チチェスターの西隣にあるフィッシュボーン (Fishbourne) では、ローマ期の宮殿遺跡が発見されている)。
西暦80年頃には、城壁があったと推定される位置に近い東門の城外に、円形劇場が建設された。
『アングロサクソン年代記』によれば、5世紀末に南サクソンの王エールが当地を攻略し、その息子チサ(Cissa)にちなんでチチェスターと改称したという。七王国時代には、サセックス王国の主要都市であった。フィッシュバーン宮殿からロンドンに至るローマ街道の「石の道 Stane Street」は市街地中心部を通っており、市街地はローマ期以来の十字状の街路をもっており、中世期の市場「マーケット・クロス market cross」から東西南北に放射状の商店街が延びている。かつての城壁も比較的よく残されており、その上を歩くことができる。
1075年に、それまで7世紀以来セルシーに置かれていた司教座が、チチェスターに移ることになった。12世紀はじめにいったん完成した大聖堂は、火災で被害を受け、12世紀末に改装されて現在の姿の原型ができた。以降、チチェスターは大聖堂を擁する格式の高い都市として、求心力をもつようになった。 チチェスターは、イングランドの地方行政システムにおいてはパリッシュレベルの行政教区(シヴィルパリッシュ、Civil parish
行政
チチェスターには、市の行政機構に加え、広域のディストリクト、ウェスト・サセックス州の役所も置かれている。現在、チチェスター選挙区から選出されている庶民院議員は、Gillian Keeganである。
チチェスターは、選挙区としても特殊な歴史をもっている。チチェスターの住民は、19世紀の選挙制度改革によって選挙権が拡大される以前から、300年にわたって国会議員を選出する選挙に参加していた。1660年に王政復古を行なう仮議会の選挙が行なわれた際、市長が投票権を自由人(Freeman)に限定した選挙を行なったところ、庶民院は、「これまで21回の議会について、議会への代表を選ぶにあたって、市民(the Citizens)のみならず平民(the Commonalty)の声を入れて来たことを踏まえると、委員会としては、この選挙区(borough)の平民には、自由市民と同様に選挙権があるものと認められる、との見解である[5]」として、選挙結果を覆し、チチェスターの平民が広く参加した再選挙で選ばれた候補に差し替えをした上で、古来の権利を意図的に否定したことを理由に市長を2週間投獄した。 チチェスターの市街地は、サウスダウンズ丘陵
地理
市の西郊外には干潟、塩沼、砂嘴、砂丘などが発達しているチチェスター港(英語版)という湾の最奥部があり、1987年にチチェスター港は西隣のラングストーン港(英語版)と共にラムサール条約登録地となった[8]。
2005年3月8日に、ディストリクトの執行部は、都市計画指導要領への補遺として「チチェスター保存地域の特色評価」を採択した。その対象は、ローマ期の町全域に、東西南北の四方向にある Northgate、Westgate、Southgate、Eastgate の区域を加えた範囲に及び、南東に延びるカレドニア街道(The Caledonian Road)地域と、北側の Summersdale も含んでいる。