チェ
(28歳の革命 / 39歳 別れの手紙)
Che
(The Argentine / Guerrilla)
監督スティーヴン・ソダーバーグ
脚本ピーター・バックマン
『チェ』(Che)は、革命家チェ・ゲバラの半生を描いた、2008年のアメリカ・フランス・スペインの合作伝記映画。
全編の上映時間が4時間30分に及ぶため、フルヘンシオ・バティスタによる独裁政権をフィデル・カストロと共に倒すキューバ革命までを描いた『チェ 28歳の革命』(The Argentine)と、ボリビアでの敗北と処刑までを描いた『チェ 39歳 別れの手紙』(Guerrila)の二部作に分けられている。 監督をスティーヴン・ソダーバーグが、主役のチェ・ゲバラ役をベニチオ・デル・トロが務めた。ベニチオ・デル・トロは本作の共同プロデューサーでもある。 2008年5月21日、カンヌ国際映画祭で初上映され、作品がパルム・ドールにノミネート、主演のデル・トロが男優賞を受賞した[1]。 ベニチオ・デル・トロは、2009年2月、スペイン版アカデミー賞(『ゴヤ賞』)の最優秀主演男優賞を受賞した[2]。 なおデル・トロは、アメリカ領プエルトリコで育ったこともあって、幼い頃からチェ・ゲバラは「悪者」だという認識を抱いていた[3]が、『007 消されたライセンス』(1989年)のロケでメキシコに行った時に偶然ゲバラの書簡集を読み、深い感銘を受けた。以降は認識を改め、ゲバラの人生に強く興味を持ったという[4]。 撮影前には、ゲバラの著書を読んだり、ゲバラの2番目の妻アレイダ・マルチ
概要
撮影は2007年5月から開始され[8]、デル・トロは撮影に際し、25kgの減量をして[9]、ゲバラになり切った。
デル・トロは共同プロデューサーのローラ・ビックフォードと共に、キューバ革命とボリビアでゲバラと共闘し、生き残っているポンボ(ハリー・ヴィジェガス)(英語版)、ウルバノ(レオナルド・タマヨ・ヌニャス)、ベニグノ(ダリエル・アラルコン・ラミレス)ら3名と会った[7]。彼ら3人に個々に話を聞き、ポンボとベニグノはキューバとボリビアでの体験を語ってくれた。ウルバノはスペインでの撮影アドバイザーを務め、どのように銃を構えていたか、など俳優たちの細かい相談に乗った[7]。
本作のコンサルタントを務めているのは、最も代表的なチェ・ゲバラの伝記で、世界の多くの国で翻訳・出版されている『Che:A Revolutionary Life』の著者であるジョン・リー・アンダーソン(英語版)である。彼の製作スタッフインタビュー『チェの伝記著者が語る、ボリビア戦争の真実』は、『チェ2部作 コレクターズエディション』の映像特典中に収録されている。 『チェ 28歳の革命』 1964年5月。革命後のキューバの要人として、首都ハバナで女性インタビュアーの取材を受けるゲバラ。過去の様々な場面を回想しながら、物語は進んでいく。 1955年7月、キューバ人の革命家フィデル・カストロは、亡命先のメキシコシティで密かに同志を募っていた。キューバはバティスタの独裁政権に支配され、貧富の差は広がるばかりだったのだ。アルゼンチン人の青年医者エルネスト・ゲバラは、カストロの言葉に共鳴し、翌年、カストロと共にキューバに密航した。 1964年12月のニューヨーク。ゲバラはキューバ主席として国連本部の総会で演説するために渡米した。このニューヨークの訪問と、7年前の1957年のキューバでのゲリラ活動が交互に語られて行く。 1957年3月、喘息の発作に苦しみながら、キューバのジャングルを進む戦闘服のゲバラ。反乱軍の仲間からは、すでに「チェ」と愛称で呼ばれているが、彼はまだ任務をうまくこなすことが出来ない。外国人である引け目が遠慮を生んでいるのだ。 同5月、カストロ率いる反乱軍は政府軍の兵営を襲って、その力を見せつけた。6月の戦闘では、ゲバラは志願して本隊から離れ、治療が必要な負傷兵たちを引き受けて危険地帯に潜伏した。この時の困難な負傷兵の移送作戦で、真の戦士に成長したと語るゲバラ。 1964年のニューヨークでテレビに出演し、支持者のパーティーに出席して、キューバの立場を語るゲバラ。交互に語られる1957年のゲバラ達は、戦いを続けている。カストロは革命後の臨時政府の方針を創案し、都市の活動家たちと協定を交わした。ゲリラたちは内心では、都市で起こっている「ゼネストによる政権崩壊」の運動を軽んじていたが、目指すところは同じなのだ。
あらすじ