チェーザレ・ロンブローゾ
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チェーザレ・ロンブローゾ

チェーザレ・ロンブローゾ(Cesare Lombroso、1835年11月6日 - 1909年10月19日)は、イタリア精神科医で、犯罪生物学の祖型となった犯罪人類学(英語版)を生み出した[1]ノーベル生理学・医学賞を受賞したカミッロ・ゴルジの指導教官でもある。隔世遺伝により先祖返りした犯罪を犯しやすい人類の一変種が存在し、身体形質(外見)によって判別可能だとする生来性犯罪者説を唱え、当時大きな影響力をもったが、現在では否定されている。「犯罪学の父」とも呼ばれることもあるが[注釈 1]、「科学としての犯罪学はロンブローゾに始まる」というのは通説にすぎず、「犯罪学における神話」であると指摘されている[2]
生涯

1835年11月6日、北イタリアのヴェローナで、ユダヤ人の家庭に生誕[3]。幼少時より天才と名高く、2歳でギリシア語、ラテン語で会話し、14歳で『ローマの盛衰』を著した[4]。18歳で医学を志し、パドヴァ大学ウィーン大学パリ大学で医学を学んだ[5][4]1859年、軍医としてイタリア統一戦争に従軍。1863年から1872年までの間に、パヴィアペーザロレッジョ・エミリアの精神病院の院長を歴任した[5]パヴィア大学教授となり、1876年トリノ大学法医学および衛生学教授となり、トリノ監獄で囚人の研究を始めた[5][6]。1906年同大の犯罪人類学の教授に就任した[6]

1870年4月10日にニナ・デ・ベネデッティ(Nina De Benedetti)と結婚し、彼女との間にジーナ(イタリア語版)を含む5人の子を儲けた[7]

研究領域は、内分泌異常、ビタミン欠乏症の研究、天才と狂気の関係を研究する病跡学(パトグラフィー)と幅広く、筆跡学催眠心霊現象の研究もある[4]。キャリアの初期には忠実な唯物論者だったが、晩年には心霊主義に興味を持ち、心霊現象を事実と認めるようになった[7]

1909年10月19日トリノで死去。ジーナは父親の死後、彼の晩年の著述を編集して出版した[7]
生来性犯罪者説『犯罪人』より『犯罪人』より『犯罪人』より『犯罪人』より、刺青『犯罪人』より


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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