チェ・ホンマン
生年月日 (1980-10-30) 1980年10月30日(43歳)
出身地 韓国・済州道済州市
原語名???
通称韓流大巨人
KOREANモンスター
テクノ・ゴリアテ
国籍 韓国
身長218 cm (7 ft 2 in)
体重160 kg (353 lb)
階級スーパーヘビー級(K-1)、無差別級(総合)
リーチ224 cm (88.2 in)
スタイルシルム、キックボクシング
総合格闘技記録
試合数9
勝利4
ノックアウト3
タップアウト1
敗戦5
ノックアウト3
タップアウト2
キックボクシング記録
試合数19
勝利12
ノックアウト7
敗戦7
ノックアウト2
その他
⇒総合格闘技記録 - SHERDOG
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チェ・ホンマン
各種表記
ハングル:???
漢字:崔洪萬
発音:チェ・ホンマン
日本語読み:さい こうまん
ローマ字:Choe Hong-man(2000年式)
Ch'oe Hong-man(MR式)
英語表記:Choi Hong Man
Hong Man Choi
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チェ・ホンマン(崔洪萬(新字体: 崔洪万)朝鮮語: ???、1980年10月30日 - )は、韓国のシルム選手、韓国のキックボクサー、韓国の総合格闘家、俳優である。韓国・済州道済州市出身。ニックネームは「テクノ・ゴリアテ」など。 高校卒業時に身長190cm以上あったほどの巨漢。その恵まれた体格を活かし大学中退後、シルムの選手となり、日本の相撲の横綱に相当する「天下壮士」の大会で優勝し、天下壮士となる。シルム時代にはテレビ番組で韓国公演中の朝青龍とも対面、日韓横綱対決と称してリンゴを握り潰すなど才覚を競っていた。だが、2004年12月6日に所属チームが解散し、その後参戦を考えていたK-1に参戦。 2005年3月19日、デビュー戦になったK-1 WORLD GP 2005 IN SEOULのASIA GPで若翔洋、曙、ガオグライ・ゲーンノラシンを破り優勝。GPへの出場権を手に入れた。 2005年9月23日、K-1 WORLD GP 2005 IN OSAKA 開幕戦で行われたGP1回戦でボブ・サップと対戦し勝利を収め、GP決勝ラウンドへの出場権を手に入れた。 2005年11月19日、K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦で行われたGP準々決勝でレミー・ボンヤスキーと対戦するも判定負け。 2006年6月3日、K-1 WORLD GP 2006 IN SEOULでセーム・シュルトと対戦し、2-1の判定勝ち。しかし、手数・有効打共に圧倒されながらも勝利したことから、雑誌等に「疑惑の判定」と取り上げられることになった。 2006年9月30日、K-1 WORLD GP 2006 IN OSAKA 開幕戦で行われたGP1回戦で、彼がデビュー前から見ていた憧れの人というジェロム・レ・バンナと対戦。延長ラウンドまでもつれ込んだが、判定負け。 2006年11月末にK-1との2年契約が満了することになっていたホンマンは契約更改の協議がまとまらなかったことで同年12月2日に予定されていた K-1 WORLD GP 2006 決勝戦 を試合10日前の11月22日に及んで欠場に追い込まれた。K-1側はレイ・セフォー、ジェロム・レ・バンナの年俸(当時)に匹敵する30億ウォン(約3億5000万円)をホンマン側に提示していたが「30億ウォンなら、試合数を3回に制限しなければならない。40億ウォン(約4億8000万円)で契約するなら年間5試合に出場できる」とホンマン側が食い下がったため交渉が決裂した。[1][2] 2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!でボビー・オロゴンとHERO'Sルールで対戦。開始16秒パウンドでTKO勝ち。 2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAでマイティ・モーと対戦。モーの右フックによりK-1キャリアで初となるダウンを喫し、KO負け。 2007年6月2日、Dynamite!! USAでブロック・レスナーと総合格闘技ルールで対戦予定であったが、カリフォルニア州アスレチック・コミッションのメディカルチェックにより直前で出場できなくなった。原因は、病院でMRI撮影を受けた結果、脳に腫瘍が見つかったことによるが、それはホンマンの巨人症の原因と推定されるものであり、試合には影響しないとの医師の診断もある。当日、開会セレモニーで行われた聖火リレーに参加した。 2007年9月29日、韓国ソウルで開催されたK-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16に開催国推薦選手として出場。GP1回戦でマイティ・モーと再戦。2Rにローキックでダウンを奪い、2-0で判定勝ち。10月4日にK-1競技委員会より発表があり、2Rのダウンは金的付近に当たった不可抗力のアクシデントだったとしてダウンを取り消したが、判定による勝敗には影響がないとされている。このことについてホンマンは、「ローブローはまったく当たっていません。」と笑いながらコメントしたが、スロー映像ではハッキリと金的に直撃している様子が映っており、審判からの注意もない為何度も繰り返し前蹴りを放っていた。 2007年12月31日、やれんのか! 大晦日! 2007でエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負け。 2008年4月20日、兵役のため韓国軍に入隊するも、「身長196cm、体重130kg以上の場合は、兵役が免除される」という規定により3日後の4月23日に除隊となった[3]。なお、これについて韓国のネット上でバッシングを浴びた。 2008年6月10日、脳腫瘍(脳下垂体腺腫)の除去手術を受け成功。アクロメガリー
来歴
格闘技
2008年9月27日、K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16でバダ・ハリと対戦し、2Rにダウンを奪うも攻めきれず判定でドローとなり、肋骨の負傷により延長戦開始前にセコンドからタオルが投入されTKO負け。
2008年12月6日、K-1 WORLD GP 2008 FINALのリザーブファイトでレイ・セフォーと対戦し、判定負け。試合後には谷川貞治に「前より悪くなっています。K-1のスピードがせっかく凄くなっているので、彼みたいなタイプは生態系を破壊してしまう。総合格闘技なら持ち味を発揮できそうなので、やってもらいたい。」と評価された[5]。
2008年12月31日、Dynamite!! ?勇気のチカラ2008?でミルコ・クロコップとDREAMルールで対戦。両者にイエローカードが提示されるほど両者とも手が出ない試合となったが、左ローキックでKO負けを喫した。
2009年5月26日、DREAM.9のスーパーハルクトーナメント1回戦でホセ・カンセコと対戦し、パウンドでギブアップ(DREAMの公式記録はKO)勝ち。
2009年10月6日、DREAM.11のスーパーハルクトーナメント準決勝でミノワマンと対戦し、踵固めで一本負け。
2015年7月25日、ROAD FC 024でおよそ6年ぶりの格闘技復帰戦に臨むも、カルロス・トヨタに強烈な右フックを浴びて失神し、開始1分29秒でKO負けを喫した。
2015年12月26日に行われたROAD FC 027の無差別級トーナメント1回戦でロオ・ヘンチャオと対戦し、棄権によるTKO勝ちにより、6年7か月ぶりの勝利を収めた。
2016年4月16日、ROAD FC 030の無差別級トーナメント準決勝でアオルコロと対戦し、1RTKO勝ちで決勝進出を決めた。
2016年9月24日、ROAD FC 033の無差別級トーナメント決勝戦でマイティ・モーと9年ぶり三度目の対戦をするも、モーの打撃に圧倒され続け右フックで1RKO負け。 2005年11月12日、フジテレビ系『めちゃ×2イケてるッ!』のゲームコーナー「STAMP8」に安田大サーカスとともにゲスト出演。肩車された位置にいた団長をハリセンで撃退するなど巨体・豪腕ぶりを見せた。 2006年9月20日、テレビ朝日系『くりぃむナントカ』において、韓国の市場でチヂミを売っているという設定でのゲスト出演。
芸能活動