チェロ協奏曲
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チェロ協奏曲(チェロきょうそうきょく)は、チェロを独奏楽器に用いた協奏曲
概要

チェロ協奏曲は、ピアノ協奏曲ヴァイオリン協奏曲に次いで一般的な協奏曲の形態として知られており、それ以外の協奏曲と比較して、レパートリーとして確立している作品の数は多い。確認できる最古のヴィオロンチェロ協奏曲はすくなくとも18世紀初頭である[1]
バロック

ヴァイオリンなどの弦楽器群と通奏低音を伴う形で、チェロが独奏になる形式の協奏曲。1700年前後のイタリア中部ボローニャでオブリガートとしてチェロが指定された協奏曲に始まり、1710年代にはヴィヴァルディが、すでに高い技術が要求されるチェロの独奏協奏曲を30曲近く作曲している。近年それらの作品がヴィオロンチェロ・ダ・スパッラすなわち肩掛け式のチェロのためであると主張されることもあるが、音型、音域、残された資料にはこれらの作品が明確にヴィオロンチェロ・ダ・スパッラのために書かれたものという証拠は、まったく存在しない。しかし、第5弦(E弦)がなければ高ポジションの音をつかむ必要に追われる曲もなくはないので(ヴィヴァルディの作品にはヴァイオリンのE弦と同じE5音を要求しているものがある)、それらの曲については5弦のヴィオロンチェロ(足で挟むダ・ガンバ型にせよ肩掛け式のダ・スパッラ型にせよ)が用いられていたであろうことが推測される。ただし、バロック期には親指を使用する奏法が既に確立されていたので(歴史的に最古のチェロ教則本とされる1741年のミシェル・コレットの教則本には既にサムポジションについての明瞭な説明がある)、4弦での演奏を想定しても矛盾しない。様々な資料や楽譜から判断できることは、明らかに4または5弦の縦型チェロ(すなわち、ダ・ガンバ型のチェロ)が主流だったということである。

18世紀を通して主にイタリア人によって非常に多くのチェロ協奏曲が書かれ、1730年代までに作曲された中ではヴィヴァルディ、プラッティ、ポルポラレオナルド・レーオのものが有名である。タルティーニの協奏曲はヴィオラ・ダ・ガンバでもチェロでもどちらでも演奏できるように書かれている。
古典派

古典派初期ではまだメジャーな存在であった5弦チェロが、ヴィオラとの棲み分け、サムポジションの奏法の発達とともに次第に衰微して絶滅した。通奏低音が廃され、概ね現在のチェロからコントラバス程度の大きさの低音大型弦楽器はヴァイオリン属の楽器もヴィオール属の楽器も一括して「ヴィオローネ」と総称され通奏低音を担当していたが、チェロと機能的に近い位置を占める弦楽器であったバス?テノールの音域のヴィオール属楽器であるヴィオラ・ダ・ガンバが古典派終了までには絶滅し、腿の肉に挟む形で演奏される現在よく知られる形の「チェロ」だけが生き残った(エンドピンはまだ存在していない)。弦楽合奏における低音を担当する楽器はチェロと、そのオクターブ下を重奏するコントラバスに収束した。通奏低音の廃止とともに、通奏低音ではなく旋律を担当する楽器としてのチェロの可能性がおおきく浮上した。

古典派の黎明期からは、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのチェロ協奏曲(全3曲)が有名なものとして挙げられ今日でもしばしば演奏されるが、彼が左利きで弦楽器を演奏できなかったこともあって、もともとチェロのために書かれたものではなく、フルート協奏曲からの編曲であろうと考えられている。古典派のチェロ協奏曲として今日最も有名であるのは、ハイドンの作品(ハ長調ニ長調の2曲)とルイジ・ボッケリーニの多数の作品である。ハイドンの近くにはジョゼフ・ヴァイグルやアントン・クラフトといったチェロの名手が存在したため、自身はチェロを演奏しなかったハイドンのチェロ協奏曲は極めて技巧的であると同時にチェロという楽器の生理に逆らわないという優れた協奏曲作曲の例となっており、現在でも頻繁に演奏される(ハイドンのヴァイオリン協奏曲がまったく顧みられないことと好対照である)。自身がチェロの名手であったボッケリーニの数あるチェロ協奏曲群は自身の名技を反映した極めて華やかな技巧的パッセージによる独特の魅力を誇っているが、近年まで楽譜の校訂が遅れたこと、技術的に至難であることがあいまって、取り上げられる機会が少なく、ハイドンのものほど一般聴衆に親しまれてはいない。古典派の作曲家は鍵盤楽器だけでなく楽団でヴァイオリンなど弦楽器を演奏した経験を持つことが多く、多くの作曲家がチェロ協奏曲を書いているが、今日では忘れ去られているものが多い(その中ではハイドンが敵視したことで知られるレオポルト・ホフマンのものが質・量ともに抜きん出ている)。モーツァルトはチェロという楽器そのものに本質的に興味を抱かなかったようである。ベートーヴェンは、名手ベルンハルト・ロンベルクの演奏に触発されて、彼のためにチェロ協奏曲を作曲することを申し出たが、ロンベルクは自分は演奏会で自作の協奏曲しか演奏しないので不要である(これはパガニーニはもちろん20世紀に到るまでヴァイオリンやチェロのヴィルトゥオーゾたちにとっては当たり前のことであった)、としてこの申し出を断っている。
ロマン派

専業の作曲家がピアノで作曲をすることが主流となったロマン派の時代においては、弦楽器(ほぼヴァイオリンとチェロであるが)の協奏曲は各楽器のヴィルトゥオーゾたちによって作曲されることが通例であった(ヴァイオリンでは、ジョヴァンニ・ヴィオッティルイ・シュポーアニコロ・パガニーニといったように)。ヴァイオリンよりも不器用な楽器であるチェロの場合、その奏法を知らない作曲家は実質的に演奏不能な楽句を書いてしまう危険がヴァイオリンの場合よりもさらに大きい。ピアニストである作曲家たちはチェロ曲の作曲にあたってチェリストの監修を必要とするのが常であった(たとえばショパンの場合におけるオーギュスト・フランコムのように)。このため、チェリストでない作曲家にとってはチェロ独奏曲はややマイナーなジャンルとなった。なかでも、協奏曲は演奏者の技巧を見せ場としなければならないので、高度に技巧的な楽句と演奏不能な楽句を区別しなければならず、チェリストでない作曲家はチェロ・ソナタを作曲している場合でも、チェロ協奏曲には手をつけないことがほとんどである。ヴィルトゥオーゾによる(主として自身が演奏するために作曲された)チェロ協奏曲・協奏的作品としては、アドリアン・セルヴェ(エンドピンの発明者)、フランコム、ゴルターマン、ピアッティ、ダヴィドフポッパークレンゲル、などによるものが挙げられ、チェロのレッスンではこれらを課題曲として取り上げることがいまでも多い。

ロマン派の作曲家は一般家庭に広まったピアノを通じて、ピアノ作品によって名を残すようになったため、有名なロマン派の作曲家は基本的にピアニストである。こうした作曲家たちによる協奏曲・協奏的作品としては、シューマン[2]サン=サーンス第1番)などがよく知られている。チャイコフスキーロココの主題による変奏曲(Op. 33)もチェロ協奏曲とは呼ばれないが、それに準ずる扱いを受け演奏頻度も高い。いずれも、ヴィルトゥオーゾ的技巧をひけらかすという性格のものではないわりに、技術的には相当な難曲となっている(シューマンのチェロ協奏曲は作曲家が弦楽器の奏法を知らなかったために意図せず技術的に困難な協奏曲が書かれてしまった例として有名である)。ロマン派のチェロ協奏曲として今日最も有名で最も高く評価されているのはドヴォルザークロ短調協奏曲である(ドヴォルザークはヴィオリストであった)。
近代

ロマン派最末期、印象派前後からは、チェリストの技術向上に伴ってチェロ独奏曲が再び勢いを得ることとなった。チェロ協奏曲では、エルガーディーリアスバックスフィンジなど英国系の作曲家の佳曲も目立っている。作曲家が背景とする演奏楽器がロマン派におけるピアノ偏重から弦楽器へと回帰し始めたこともあって、たとえば新古典派の作曲家はチェロのための協奏的作品を好んで書く傾向にあり、ミヨー(ヴァイオリニスト、2曲)、マルティヌー(ヴァイオリニスト、4曲)、ヒンデミット(ヴィオリスト、3曲)、などの作品が知られている。ロシア系では、プロコフィエフ交響的協奏曲)、ショスタコーヴィチ第1番)、ヴァインベルク、また英国のブリテンチェロ交響曲)などの作品が有名だが、これらはいずれもピアノ演奏を背景とする作曲家によって、20世紀を代表するヴィルトゥオーゾであるロストロポーヴィチのために書かれた協奏的作品である(演奏技術の卓越したロストロポーヴィチを演奏者として想定することで、チェロ曲作曲における古典的イディオムを作曲家が気にしなくてもよくなった点が重要である)。


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