チェロソナタ第2番_(フォーレ)
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ガブリエル・フォーレ(1905年の写真)

チェロソナタ第2番(: Sonate pour violoncelle et piano no 2) ト短調 作品117は、近代フランス作曲家ガブリエル・フォーレ(1845年 - 1924年)が1921年に作曲したチェロピアノのためのソナタ。全3楽章からなる。なお、フォーレのチェロソナタは2曲あり、第1番は第2番の4年前、1917年に書かれている[1]
作曲の経緯

フォーレのチェロソナタ第2番は、1921年2月から11月にかけて作曲された[2]。第2楽章、第1楽章、第3楽章の順に書かれており[3]、このうち第2楽章は、1921年5月5日にパリオテル・デ・ザンヴァリッド廃兵院)で執り行われたナポレオン1世没後100年記念式典のためにフォーレが作曲した『葬送歌』(作品番号なし)の編曲である[1]

ナポレオン1世のための『葬送歌』は、1921年の初め、フランス政府からの委嘱によって作曲された。フォーレがピアノ五重奏曲第2番を完成したころで、作曲家として名誉な注文であることは知りつつも、自らの審美的な好みが内面的な音楽を目指すことにあると自覚していたフォーレにとっては、困惑させられるものでもあった[4]。「ナポレオンに取り組んでいます。主題にも状況にもまったく気後れせずにはおれません!」 ? 1921年2月22日、避寒地ニースから妻マリーに宛てたフォーレの手紙[4]

それでも作品は2週間もかからずに完成した。フォーレの次男フィリップによると、『葬送歌』はかつての悲歌劇『プロメテ』同様に3つの部分からなるスコアで書かれていたという。式典では軍楽隊によって演奏されるが、フォーレは吹奏楽に不慣れであったため、パリ憲兵隊で音楽隊長を務めていたギヨーム・バレーに編曲を依頼している[4]

『葬送歌』はフォーレのもっとも感動的な曲のひとつとなり、この仕事によって彼の創造的イマジネーションが刺激されたこと、また、吹奏楽の形態のままでは演奏機会が限られることから、フォーレはこの作品をチェロ用に編曲、これを中心楽章にしたソナタを構想した。フォーレは1921年3月19日付けで妻マリーに宛てた手紙で、「チェロとピアノのための二つ目のソナタ」に着手したことを告げている。こうして『葬送歌』は新たなチェロソナタのアンダンテ楽章として蘇ることになった[5][4]

しかし、8月にフォーレは病気のために倒れ、医者の指示によって作曲は中断された。妻マリーに宛てた手紙には、「私は気管支と腸、それに肝臓と腰をやられました。床から離れられずに、食事療法をしており、薬やミルクを飲んでいます。」(1921年8月19日付)、「私はゆっくりとですが、回復しつつあります。要は、回復しなければならないのです。いま、バルザックを読んでいますが、とても面白い……。私の音楽ですか? 眠っています……。」などと報告している。1ヶ月の中断を経て、フォーレがパリに戻ってきたのは9月になってからである。「歳をとると本当に厄介です。再び作曲にとりかかっても、それまでの内容をあまりよくは思い出せないのですから……。」 ? 1921年、妻マリーに宛てたフォーレの手紙[4]

両端楽章は、1921年の春と秋を通じてパリのヴィーニュ通り32番地にあるアパルトマン及びアリエージュ県アクス=レ=テルムにおいて制作された[5][4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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