チェルノレス文化
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前750年ごろのヨーロッパ東部。
中央の紺色がチェルノレス文化。

チェルノレス文化(チェルノレスぶんか、英語:Chernoles culture, Chornolis culture, Chornolis'ka (Black Forest) culture, Chornoles culture; ウクライナ語:Чорнол?ська культура、チョールノリース文化[1])または黒森文化は、前11世紀ごろから前8世紀ごろを最盛期として前3世紀ごろまでにかけて黒海の西北部、ドニエステル川ドニエプル川に挟まれた森林ステップ地域を中心に広がっていた文化。遺跡の名称は、中央ウクライナキロヴォフラード州の「黒森 (キロヴォフラード州)(ウクライナ語版)」(Чорний л?с;チョールニー・リース)と呼ばれる大きな森林で発見されたことにちなんで名付けられた。スラヴ語派の各民族、すなわちスラヴ人の起源における決定的に中心的な文化と考えられ、後の時代のこの地域の諸文化の絶え間ない融合や分裂のプロセスを経てさまざまな文化や国家に分かれたあとでも、元をたどるとこのチェルノレス文化に行き着く諸文化が現在のスラヴ人諸民族となっている。青銅器時代から鉄器時代への変遷期の文化で、両方の時代の特徴が見られる。同じ地域に広がっていた青銅器文化のベログルードフ文化(ロシア語版)とその南のコマロフ文化から発展したものと推定されている。地理的には、トシュチニェツ文化の東部地域と一致する。
チェルノレス文化の特徴

地球上で最も肥沃な、いわゆる黒土地帯と呼ばれる地域にほぼ一致して広がっており、穀物栽培が盛んであった。集落は城塞でない開けた構造のものと、丘の上に築いた城塞の2つの種類がある。城塞型は盛り土による防壁や環濠で守られていた。家屋は大半が地上式で大家族が住めるよう大型(縦6メートル、横10メートルほど)で堅固な作りとなっている。斧は石、青銅、鉄で作られており、武器は青銅のものが大半。装飾物は青銅製で、工具は鉄製であった。また、馬具も鉄製でその意匠はこの文化独特であった。を大切にし、愛馬が死ぬとその葬儀をも行っていた。

人の埋葬については、初期は様々な規模のクルガン墳墓(古代ユーラシア大陸中緯度地域独特の墳丘式墳墓)を築いて土葬していたが、のちには荼毘に付したあと集団墓地に埋葬する火葬が一般化した。この火葬の習慣についてはヘロドトス農耕スキタイの習慣として言及し、さらにその話の中で出てくる地名と初期スラヴ人の河川名とが一致している。そのためこの文化はスラヴ人の初期文化、ないしはのちにスラヴ人の基幹となる集団の先祖の文化のうち主要なもののひとつであると推定される。

遺跡から出土する様々な製品の特徴から、遊牧系スキタイ人との密接な接触があったことは明らかである。またさまざまな借用語や河川名は、もとはイラン語群の言語から来たものであるため、遊牧系スキタイ人がイラン語群の言語を話していたとすれば現在のスラヴ語派バルト語派にみられるイラン語群からの強い言語的影響はこの時代の人々の遊牧系スキタイ人との接触によるものであると推測される。
スラヴ人の「原郷」問題

なお、過去のヨーロッパの考古学界では、チェルノレス文化よりもさらに北方の、現在のベラルーシ中南部に当たるプリピャチ川(上図の"Pripet R.")の沼沢地帯がスラヴ人の原郷であるという説が主流であった。20世紀前半にはナチス・ドイツがこの説に基づきポーランド人をプリピャチ沼沢地へと集団追放しそこで強制労働、飢餓、疫病、銃殺などの方法でポーランド人をこの世から完全に絶滅するという残酷な計画さえ立て、それを盛んに宣伝していた。しかし現在では、チェルノレス文化の時代のこの地域はミログラード文化(英語版)(上図の"MILOGRAD")に属していたことが明らかになっている。ミログラード文化はネウロイ人の文化と推定され、さらにネウロイ人は東バルト語群の諸民族の先祖だと推定されている。

同時代のルサチア文化ラウジッツ文化、上図の"LUSATIAN"」))はその当時はチェルノレス文化とは明らかに別系統である。19世紀から20世紀にかけては、ルサチア文化の担い手についてゲルマン系であると主張するドイツとスラヴ系であると主張するポーランドとの間で激しい論争があったが、ルサチア文化がもともとゲルマン系かスラヴ系のどちらかであった可能性を支持する確たる証拠は見つかっていない。むしろ、ルサチア文化は古い時代に北部ヨーロッパから南のアドリア海沿岸へ集団移動してしまったイリュリア系の古ウェネト人(英語版)が主要な担い手であるとする説が、現在では最も有力である。ラウジッツ文化で支配的だった言語は、後にウェネティ語と呼ばれるようになった言語と基本的に同じものであったと推測される。ウェネティ語は断片的な資料が残されており、ゲルマン語派ではないが、ゲルマン語派のひとつであるゴート語と似た部分もある[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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