公用語古ルーシ語
首都チェルニーヒウ
チェルニーヒウ公
1024 - 1036ムスチスラフ1世
変遷
建国11世紀
滅亡1239
チェルニゴフ公国[1]、チェルニーヒウ公国(ウクライナ語:Черн?г?вське княз?вство[2])は[注釈 1]、11世紀から13世紀にかけて、キエフ・ルーシにおいて都市チェルニーヒウ市を中心とした公国である。本土は現在のウクライナの北部にあり、その支配領域は現在のロシアとベラルーシへも拡大していった。 公国の領土の大半はドニエプル川左岸に位置しており、デスナ川及びセイム川流域を包摂していた。また同国の人口の大半を占めたのはセヴェリャーネ族で、ポリャーネ族が一部これに加わる構成だったが、後には公国の拡大とともにラジミチ族、ヴャティチ族、ドレゴヴィチ族の住む土地にも支配が及んだ。公国の首都はチェルニーヒウで、領内の都市にはノヴゴロド・セーヴェルスキー、スタロドゥーブ、ブリャンスク、プチヴリ、クルスク、リューベチ、グルコフ、チェチェルスク、ゴメリ、ヴィリなどがあった。チェルニーヒウ公国の支配権と影響力は甚大であり、北はムーロム及びリャザン地方、南西にはトムタラカニ公国まで及んでいた。
概要