チェファル
Cefalu
行政
国 イタリア
州 シチリア
県 パレルモ
CAP(郵便番号)90015
市外局番0921
ISTATコード082027
識別コードC421
分離集落Sant'Ambrogio, Gibilmanna
隣接コムーネカステルブオーノ、 グラッテーリ、 イズネッロ、 ラスカリ、 ポッリナ
公式サイト ⇒リンク
人口
人口14,452 [1] 人 (2015-01-01)
人口密度219.6 人/km2
文化
住民の呼称cefaludesi
守護聖人Immacolata
チェファル (イタリア語: Cefalu; シチリア語: Cifalu)は、イタリア共和国シチリア州パレルモ県のティレニア海沿岸にある、人口約1万5000人の基礎自治体(コムーネ)。古代ギリシャ人の植民都市に起源を持つ都市である。 シケリアのディオドロスとストラボンはギリシャ語で Κεφαλο?διον、プトレマイオスは Κεφαλοιδ?? と書き記した。 プリニウスはラテン語でケファロエディウム(Cephaloedium)、またはケファロエディス(Cephaloedis)と記した。 日本語文献では「チェファルー」[4]と表記されることもある。 パレルモ県のコムーネ。県都パレルモから東へ58kmの距離にある[5]。 隣接するコムーネは以下の通り。 チェファルはギリシャ起源の都市で、海に突き出した険しい突端(Κεφαλ?)をなす、非常に高い絶壁の岩の上にあることから明らかに市名が発生している。しかし市名のギリシャ語源である根拠はなく、この海岸地帯の島にあった唯一のギリシャ植民地ヒメラ(現在のテルミニ・イメレーゼの東12キロメートル)について触れたトゥキディデスも記述していない。おそらくこの時代のケファロエディウムはヒメラに属し希に要塞となり、ヒメラが破壊された後避難民らが最初に移り住んで町としたとされる。名前が歴史上初めて登場するのは、カルタゴ人航海者イミルコ
目次
1 名称
2 地理
2.1 位置・広がり
2.1.1 隣接コムーネ
3 歴史
4 文化・観光
5 脚注
6 外部リンク
名称
地理
位置・広がり
隣接コムーネ
カステルブオーノ
グラッテーリ
イズネッロ
ラスカリ
ポッリナ
歴史
東ローマ帝国時代、ケファロエディウムは平地から現在の懸崖へ定住地が移された。旧市街が打ち捨てられたわけではなかった。858年、長い包囲戦のあと、アラブ人に征服され、ガフルディ(Gafludi)と改名された。その後数世紀に渡り、町はシチリア太守国(en:Emirates of Sicily)の一部となった。
1063年、ノルマン人がチェファルを獲得し、1131年にシチリア王ルッジェーロ2世が町を岩の麓の近づきがたい位置に移させた。そこは小さいが素晴らしい港で、その場所に現在のチェファル大聖堂が建設され始めた。13世紀から1451年の間、違った封建領主に支配され、のちに町はチェファル司教の所有となった。
リソルジメントの間、愛国者サルヴァトーレ・スピヌッツァ(it:Salvatore Spinuzza)は1857年にチェファルで射殺された。チェファルがイタリア王国に統合されたのは、1861年のことである。 「イタリアの最も美しい村」クラブ加盟コムーネである。 ウィキメディア・コモンズには、チェファルに関連するメディア
文化・観光
脚注^ 国立統計研究所(ISTAT). “ ⇒Total Resident Population on 1st January 2015 by sex and marital status” (英語). 2016年9月20日閲覧。
^ 国立統計研究所(ISTAT). “ ⇒Tavola: Popolazione residente - Palermo (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2014年1月11日閲覧。
^ 国立統計研究所(ISTAT). “ ⇒Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Palermo (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2014年1月11日閲覧。
^ 『現代地図帳 2006-2007』二宮書店、2006年、60頁。
^ “ ⇒地図上で2地点の方角・方位、距離を調べる”. 2016年9月20日閲覧。
外部リンク