チェット・アトキンス
基本情報
出生名Chester Burton Atkins
別名ミスター・ギター
生誕1924年6月20日
出身地 アメリカ合衆国 テネシー州
死没 (2001-06-30) 2001年6月30日(77歳没)
ジャンルカントリー
ジャズ
担当楽器ギター
レーベルRCAレコード
コロムビア・レコード
公式サイト ⇒misterguitar.com
著名使用楽器
ギブソン・カントリー・ジェントルマン
グレッチ・カントリー・ジェントルマン
グレッチ・6120
チェット・アトキンス(Chester Burton Atkins、1924年6月20日 - 2001年6月30日)は、アメリカ合衆国のミュージシャン、アメリカ合衆国のギタリスト。基本的にはカントリー・ミュージシャンだが、ジャズやブルースからの影響も吸収し、また、後のロック・ギタリスト(ジョージ・ハリスン、スティーヴ・ハウ等)にも多大な影響を与えた。生涯において、13作品(他ミュージシャンとの連名も含む)でグラミー賞を受賞し[1]、1993年にはグラミー賞の生涯功労賞も受賞[2]。「ミスター・ギター」と称される。
2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第21位。 テネシー州ラットル生まれ。父はヴァイオリンやピアノを弾け、母違いの兄もギターを弾けることもあり、チェットも早くから音楽に目覚めていった。最初はウクレレを始め、やがてギターに転向。しかし、少年時代は喘息を持っていたため、父と共にジョージア州に移る。 1939年、マール・トラヴィス
来歴
ハイスクール卒業後は、ラジオ番組でギタリストとしての仕事を得る。この頃、クラシックのアンドレス・セゴビアや、ジャズ畑のジャンゴ・ラインハルトを知り、影響を受けていった。
1946年、初めてシングル・レコードを発表。ほどなくRCAビクター(後のRCAレコード)と契約し、チェットの黄金時代に繋がっていく。1947年、シカゴにてRCAビクターとして初めてのレコーディングを行なったがリリースされなかった。同年、RCAとしていくつかのラジオ番組に出演したが、テネシー州ノックスビルに転居してホマー&ジェスロと共にラジオ局WNOXにて土曜の新番組『The Tennessee Barn Dance 』および人気番組『Midday Merry Go Round 』に出演するようになった。1949年、WNOXを離れ、ジューン・カーター with マザー・メイベル&ザ・カーター・シスターズに参加し、ミズーリ州スプリングフィールドのラジオ局KWTOに出演するようになった。長く活動してきたカーター・ファミリーは母メイベル・カーターとその娘たちジューン、ヘレン、アニタを中心に活動するようになっていた。アトキンスを含むこのグループはすぐに『グランド・オール・オープリー』からの興味を惹き、1950年代中期、グループはテネシー州ナッシュビルに転居した。アトキンスはレコーディング・セッションを始め、WSMや『オープリー』で演奏するようになった[3]。1950年代、アトキンスは『オープリー』のメンバーとなった[4]。
アルバム『A SESSION WITH CHET ATKINS』(1954年)が高く評価され、1955年にはシングル「Mister Sandman」がカントリー・チャートの13位にランク・イン。これによりチェットは大きな名声を得た。また、自己名義での活動以外にも、スタジオ・ミュージシャンとしても活動。エルヴィス・プレスリーの大ヒット曲「ハートブレイク・ホテル」や「ハウンド・ドッグ」でリズム・ギターを演奏したのに加えて、ハンク・ウィリアムスやエヴァリー・ブラザース等のセッションにも参加した[5]。
チェット・アトキンスの独自の奏法による逸話として『ヤンキードゥードル・ディキシー』がある。チェットはコンサート会場でリクエストを受け付けたが、「『ヤンキードゥードゥル(アメリカ独立軍歌)』を演ってほしい」という客と「『ディキシー(南北戦争時の南軍の軍歌)』を演ってくれ」という客が争いになってしまった。チェットは「では2曲同時に弾きましょう」と言い、2つのまったく別の曲を同時に弾いて見せた。後にレコーディングされ、4曲入りEPのB面に収録された(独自のアレンジを加えており、さらに2曲とも作者不詳だったため、作曲者としてチェット・アトキンスの名前が載っている)。
1965年、日本で行われたパッケージ・ツアー「ポップ&カントリー・フェスティバル」に参加[6]。
ジェリー・リードとの共演作『ミー・アンド・ジェリー』(1970年)は、グラミー賞ベスト・カントリー・インストゥルメンタル部門を受賞。1973年には、日本歌曲のカバー・アルバム『日本の詩(Discover Japan)』を発表。『チェスター・アンド・レスター』(1976年)は、チェットにとって憧れの存在であったレス・ポールとの連名のアルバムで、同作もグラミー賞受賞に至った。
1979年、品質改善が見込めないとしてグレッチとのエンドーズ契約を解消する。以降はギブソン製のギターを使用する。ギブソン契約前にはフェンダーなどの他社のギターも使っていた(チェットがソリッドボディのギターを弾くのは非常に珍しい)。
1982年、長年籍を置いてきたRCAレコードを去り、コロムビア・レコードに移籍。その後も精力的な活動を続ける。1990年にはマーク・ノップラーとの連名でアルバム『ネック&ネック』を発表。
2002年、ロックの殿堂のサイドマン部門を受賞[7]。授賞式では、マーティ・スチュアートとブライアン・セッツァーがプレゼンターを務めた。 サムピックとフィンガーピッキングを多用して、ギターソロに厚みを出すのが特徴。低音弦(4?6弦)をミュートしながら弾き、高音弦(1?3弦)を指で弾いてメロディとコードを奏でる、マール・トラヴィス
演奏スタイル