チェサピーク_(バージニア州)
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チェサピーク市
City of Chesapeake

標語 : "1つの増加する目的"
位置

バージニア州におけるチェサピークの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度42分51秒 西経76度14分18秒 / 北緯36.71417度 西経76.23833度 / 36.71417; -76.23833
歴史
新設合併1963年
行政
アメリカ合衆国
 バージニア州
 市チェサピーク市
市長アラン・P・クラスノフ
地理
面積 
  市域908.8 km2 (350.9 mi2)
    陸上  882.5 km2 (340.7 mi2)
    水面  26.4 km2 (10.2 mi2)
標高9 m (28 ft)
人口
人口(2010年現在)
  市域222,209人
    人口密度  243.3人/km2(630.1人/mi2)
  都市圏1,671,683人
その他
等時帯東部標準時 (UTC-5)
夏時間東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : ⇒http://www.cityofchesapeake.net/

チェサピーク(Chesapeake)は、アメリカ合衆国バージニア州南東部に位置する都市。バージニア州法の規定により、いずれの郡にも属さない独立市となっている。市はノーフォークの南に隣接し、同市を中心に9市7郡にまたがるハンプトン・ローズ都市圏(正式名称: バージニアビーチ・ノーフォーク・ニューポートニューズ都市圏)に含まれる郊外都市となっている。市は1963年にサウスノーフォーク市と1691年からの歴史があるノーフォーク郡が合併して成立した。

チェサピークはノーフォークの6倍以上、882km2の広い市域を有し、都市開発の進んだ地域もあれば、かなりの広さを持つグレート・ディズマル・スワンプ(大きな暗い沼地)もあり、広大な保護林や湿地もある多様な町である。ノースカロライナ州との田園部州境からノーフォーク市ポーツマス市に隣接するハンプトン・ローズの港湾地域まで広がっており、大西洋沿岸内水路に位置し、工業、商業および住宅地域のある長いウォーターフロントがある。

2010年の国勢調査による人口は222,209人[1]で、2000年の国勢調査時より11.6%増加しており、バージニア州内では同じハンプトン・ローズ都市圏内のバージニアビーチ、ノーフォークに次ぐ第3の都市である。市の成立以来高い成長が続いており、ブーンバーブと呼ばれる高成長大型郊外都市の1つに数えられている[2]。ハンプトン・ローズ都市圏全体では1,671,683人(2010年国勢調査)[1]の人口を抱えている。
歴史

1963年、新しい独立市であるチェサピーク市は、独立市だったサウスノーフォーク市がノーフォーク郡と合併して作られた。バージニア州議会が承認したこの合併はそれぞれの地域社会の住民投票によって認められ新しい市名も選ばれた。この新都市は周回するハンプトン・ローズ・ベルトウェイで結ばれている現在のハンプトン・ローズの7都市の一角となった。

ノーフォーク郡は1691年バージニア植民地に創られ、当初はノーフォーク、ポーツマスおよびサウスノーフォークの町、後に市となった地域全体を実質的に含んでいたが、1871年以降これらの都市が周りの地域を併合していくごとに、郡の面積は減っていった。独立市になるということは隣接する市が互いから領域を併合できないようにして、境界を安定させる手段だった。

比較的小さな都市だったサウスノーフォーク市は1919年にノーフォーク郡内の編入された町となり、1922年に独立市になった。より大きな都市であるノーフォークやポーツマスと色々な面でより平等な基盤に立つ変化を与えることも動機となった。1950年代後半までに、大都市による併合の心配は無かったが、ノーフォーク郡に対してノーフォーク市が起こした当時の訴訟はサウスノーフォーク市に隣接する郡内全ての土地を取り上げるというものだった。

チェサピーク市を創設した変化は1952年から1976年の間に起こったバージニア州南東部の地方政府構造改革の波の一部だった。

チェサピークの歴史はバージニアの植民地時代に遡る。沿岸内水路がチェサピークの町を抜けている。この水路で、エリザベス川の南支流からチェサピーク・アンド・アルベマール運河に移行する水門があるグレートブリッジはグレートブリッジの戦いが起こった場所である。アメリカ独立戦争初期の1775年12月9日に起こったこの戦闘で、ダンモア卿などバージニア植民地イギリス政府の他の残党は居なくなった。ノーフォーク郡(1895年の地図)、1691年から1963年まで存在し、現在は消滅した

ディズマル・スワンプ運河もチェサピーク市を抜けている。この運河の場所は数ある中でもジョージ・ワシントンによって測量され、「ワシントンの溝」と呼ばれている。これはアメリカ合衆国でも最古の連続的に使われている人工の運河であり、その使用歴は230年以上に及ぶ。この運河はエリザベス川の南支流から分かれる市内のディープ・クリーク地区から始まっている。アメリカ国道17号線に平行してチェサピーク市を抜け、ノースカロライナ州に入ってエリザベスシティとを繋いでいる。

1980年代後半と1990年代初期まで、チェサピーク市域の大半は都市郊外か田園であり、隣接するノーフォーク市やバージニアビーチ市のベッドタウンであり、住民はこれらの市に通勤していた。しかし1980年代後半に始まり1990年代にはチェサピーク市が加速度的に著しい成長を遂げ、多くの重要な産業やその事務所を惹きつけてきた。


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