チェコ軍
[Wikipedia|▼Menu]

チェコ共和国軍
Armada ?eske republiky
紋章(左)とラウンデル(右)
創設1918年
再組織1993年1月1日
派生組織チェコ陸軍
チェコ空軍
指揮官
最高司令官大統領ミロシュ・ゼマン(2013年 - )
総人員
兵役適齢18歳から
徴兵制度2004年終了
適用年齢15 - 49歳
-適齢総数
(2005年)2,414,728、年齢 15 - 49歳
-実務総数
(2005年)1,996,631、年齢 15 - 49歳
-年間適齢
到達人数
(2005年)66,583
現総人員29992(軍人21,751、文官8,241)[1]
財政
軍費/GDP1.11%(2012年)[2]
テンプレートを表示

チェコ共和国軍(チェコきょうわこくぐん、チェコ語:Armada ?eske republiky)は、チェコ共和国軍事組織である。
目次

1 歴史

2 組織構成

2.1 陸軍

2.2 空軍

2.3 直轄部隊

2.4 予備役


3 装備

4 制服

5 階級

6 出典・注

7 参考文献

8 外部リンク

歴史

1918年第一次世界大戦の結果として独立したチェコスロバキアの軍として編成された。1939年チェコスロバキア併合が行われると軍は分散し、ポーランド軍(チェコスロバキア軍団)、フランス陸軍イギリス空軍イギリス陸軍(第1チェコスロバキア機甲旅団)、赤軍(第1軍団)に加わった。1945年末には、4個飛行隊がイギリス空軍からチェコスロバキアに帰還している。

1950年代から1992年まで、チェコスロバキア軍(?eskoslovenska lidova armada、?SLA)として知られた。これは、1945年に四散していたチェコ及びスロバキアの軍人がチェコスロバキアに帰還し、1948年のチェコスロバキア政変により西側諸国に属した軍人が追放されたことに始まるものである。なお、チェコ事件においては何ら抵抗を行わず、事態終結後にソビエト連邦によって再編されている。

冷戦を通じてソ連製の兵器を主軸に、自国産の兵器で補完する体制を採っていた。とくに前近代から工業化が進んでいたチェコスロバキア地域では兵器製造も盛んであり、旧ワルシャワ条約機構加盟国の共通ジェット練習機として採用されたL-29やその後継のL-39は東西陣営・軍民の枠組みを越えて各方面から高い評価を得ている。冷戦末期から現代にかけて、これらの機体は西側諸国の最新機器を導入することでさらなる改良が進められており、L-59練習機やL-159(英語版)軽攻撃機などへと発展するなど、その基本設計の優秀さを証明している。

チェコスロバキア解体にともない、チェコ共和国の国軍は1993年に再創設された。創設時の兵力は9万人、これが1997年には65,000人(11個師団、空軍)、1999年には63,601人に減少した[3]。その後も減勢を続け、2012年には文官と合わせて29,992人まで減少している[1]。同時に装備の近代化とより防衛的な性格への再編が進行し、2004年には徴兵制を廃止する代わりに予備役の運用を開始した。

北大西洋条約機構(NATO)には、1999年3月12日に加盟している。

チェコ共和国は国際連合欧州安全保障協力機構の一員であり、多くの作戦・活動に参加している。その中にはデイトン合意に基づくボスニア・ヘルツェゴビナへの展開や、湾岸戦争が含まれている[4]
組織構成 構成

軍は、プラハの参謀本部の下に第601特殊部隊、統合軍(オロモウツ)と支援コマンドを置く。統合軍は、陸軍、空軍、訓練コマンドと直轄の技術部隊を持つ。
陸軍

陸軍は機械化2個旅団(ジャテツフラニツェ・ナ・モラヴィェ)と砲兵1個旅団(en:Jince)の計3個旅団を保有している。
空軍 空軍のJAS-39詳細は「チェコ空軍」を参照

空軍はスウェーデンJAS 39 グリペン超音速ジェット多用途戦闘機14機と自国製L-159亜音速ジェット軽攻撃機24機[5]を固定翼作戦機の主力としており、回転翼機としては旧ソ連・ロシア製Mi-24とその発展型Mi-35を24機運用している。

防空旅団も空軍の管轄であり、ストラコニツェに基地を置く。
直轄部隊

第53偵察・電子戦旅団は統合軍の直轄部隊であり、オパヴァに基地を置く。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:25 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef