チェコスロヴァキア正教会
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チェコ・スロバキア正教会
チェコ共和国オロモウツの聖ゴラズ大聖堂。オロモウツ・ブルノ大主教区の大主教座大聖堂である。
独立教会の承認1951年にモスクワ総主教庁より独立教会としての承認を受ける。1998年にコンスタンディヌーポリ全地総主教庁より独立教会としての承認を受ける。
現在の首座主教ラスティスラフ[1][2]
府主教庁所在地プラハチェコ共和国
プレショフスロバキア共和国
主な管轄チェコ共和国およびスロバキア共和国
奉神礼の言語教会スラヴ語
概算信徒数10万人[3]
公式ページ公式サイト(チェコ版) (チェコ語)
公式サイト(スロバキア版) (スロバキア語)
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チェコ人の地およびスロバキア正教会(チェコ語:Pravoslavna cirkev v ?eskych zemich a na Slovensku、スロバキア語:Pravoslavna cirkev v ?eskych krajinach a na Slovensku)は、チェコ共和国およびスロバキア共和国を管掌する正教会の教会組織であり、2006年5月2日よりプラハ府主教のクリシュトフ(Kry?tof)がその長を務めている。

正教会では一般に、信仰を同じくする教会組織を国や地域ごとに設立し、相互に承認する形をとっている。チェコ・スロバキア正教会は、コンスタンディヌーポリ全地総主教庁ロシア正教会をはじめ、各地の正教会と互いに承認しあっており、信仰を同じくしている。したがって本教会に属する信徒の持つ信仰は、他の国や地域の正教会組織のそれと同一である[4]
歴史

チェコおよびスロバキアにおける正教会の歴史は、中世にも現代にも存在している。現代のチェコ・スロバキア正教会の管掌地域にはモラヴィア地方が含まれるが、モラヴィアは聖キュリロス聖メトディオスの兄弟によって、スラヴ人への正教会の布教が進められた地であった。兄弟によるスラヴ人への布教活動のために、聖書がスラヴ語に翻訳され、スラヴ語を書き表すための文字も作り出された。メトディオスが885年に死去すると、ローマ教皇ステファヌス4世は兄弟の弟子たちの活動を禁じてチェコから追放し、その活動は打ち砕かれた。一方、地理的にキエフ・ルーシに近いスロバキアでは、その後も正教会の布教は続けられたが、ウィーン会議によってローマ・カトリック教会へと合同させられた。「オフリドのクリメント」も参照

第一次世界大戦の終戦によってチェコスロバキアが独立すると、正教会に対する法的な規制から解放され、多数の人々がカトリック教会を去った。大戦前から一部で進んでいたセルビア正教会との協力関係により、彼らはセルビア正教会に傾倒していた。その中に、かつてカトリック教会の司祭で、正教への関心を深めていたマティアス・パヴリク(Matthias Pavlik)がいた。

1921年9月25日、ユーゴスラビア王国の首都ベオグラードにある聖ミハイル大聖堂にて、セルビア正教会のベオグラード総主教・ディミトリはマティアス・パヴリクをモラヴィアおよびシレジアの主教に任命した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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