ダラム大学Durham University
校訓"Fundamenta eius super montibus sanctis"
"Her foundations are set upon the holy hills"
学校種別国立
設立年1832年
名誉理事長Sir Thomas Allen
ダラム大学 (University of Durham) は、イギリスの大学都市であるダラム州 ダラム市及びストックトン・オン・ティーズ市にキャンパスを置く、国立の研究型総合大学である。1832年に設立され、イギリス伝統のカレッジ制を特徴とする英国の大学である。イギリスの大規模研究型大学連合で構成するラッセルグループ加盟校。
2019年のインデペンデント紙によると、ダラム大学学部課程入学者の英国大学入試Aレベルの平均得点は全英で6番目である[3]。Independent school(私立高校)出身が40%ほどを占めており、合格率は年によっても左右するが15%ほどである。また、ダラム大学の建物の一部とダラム大聖堂が映画 ハリーポッター、リトル・ダンサー、アベンジャーズなどの撮影に使われた[4]。 ダラム大学は1832年に議員立法 (Act of Parliament
目次
1 概要
2 沿革
3 組織
4 カレッジ一覧
5 対外関係
6 ランキング
6.1 国内ランキング
6.2 世界ランキング
7 著名な関係者
7.1 架空の人物
8 脚注
9 関連項目
10 外部リンク
概要
ケンブリッジ大学やオックスフォード大学、ヨーク大学は、同種のカレッジ制を採用した大学であることから、毎年4校間でカレッジ対抗のスポーツイベント、ドオックスブリッジが開催されている。
沿革が13世紀後半から16世紀半ばまで存在し、ダラム大聖堂主教のハットフィールドの援助もあった。しかし、イングランドの宗教改革の影響でオックスフォードのダラム・カレッジは衰退し、その敷地は複数のカレッジに分割されてしまった。また残っていた敷地も1555年のトリニティ・カレッジの設立に使われてしまった。そのため、大学の設立はダラム大聖堂の悲願であった。実際、1832年のダラム大学開設以前にも、設立の動きは2回ほどあった。第一はヘンリー8世の治世の時代で、ダラム大聖堂のカレッジを設立する動きがあったが、実現しないまま終わった。第二の試みは、共和制時代であり、1657年には設立勅許状が発行されるに至るが、オックス・ブリッジの強い反対に遭ってクロムウェルがオックス・ブリッジに妥協、またも設立計画は流れた。そして19世紀になってようやく開設が実現した。
ダラム大聖堂の主教は、その統治する地域において聖俗双方の権力を有していたことから「司教領 (Prince-bishop)」と呼称され、豊かな財力を誇っていた。しかし、19世紀にダラム大聖堂の財産が徴収されるおそれが生じたため、最後のプリンス・ビショップであるヴァン・ミルダート主教(en)の指導によりダラム大聖堂主教参事会が大聖堂の組織改組案を作成、これが1832年に議会により承認された。