ダービースタリオン
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、ダービースタリオンシリーズ全般について説明しています。Nintendo Switchで発売されたゲームソフトについては「ダービースタリオン (Switch)」をご覧ください。

ダービースタリオンシリーズ
ジャンル競走馬育成シミュレーションゲーム
1作目ベスト競馬・ダービースタリオン
1991年12月21日
最新作ダービースタリオン
2020年12月3日
スピンオフ作品チョコボスタリオン
テンプレートを表示

『ダービースタリオン』(Derby Stallion) は、1991年アスキーから発売された『ベスト競馬・ダービースタリオン』(Best Keiba Derby Stallion)をはじめとした、競走馬育成シミュレーションゲームのシリーズである。1990年代半ばに一大ブームを築き、競馬シミュレーションゲームの草分け的存在となった。開発者は、現在パリティビット代表取締役で馬主でもある薗部博之。通称ダビスタと呼ばれる。
概要

プレイヤーは競馬における生産者馬主調教師を兼ねる立場となり競走馬の生産、調教、出走を繰り返しながらJRAの全GI競走タイトルの獲得を目指す(エンディング後もゲームは続行できる。一部作品ではエンディングの条件が異なる)。また、NEC PC-9800シリーズ版以降の作品ではパスワードを持ち寄ることによってプレイヤーが育てた馬同士で対戦する「ブリーダーズカップ (BC)」モードが追加された。

ゲームは平日と休日(レース)を1セットとする1週間単位で進行する。ゲームの基本的な舞台となるのは牧場厩舎競馬場の3箇所でありプレイヤーは平日には牧場での生産や厩舎での調教・出走登録などを行い休日には競馬場でレースを観戦する[注釈 1]。1年間の競走日程は現実世界におけるJRAの競走日程を1開催4日制・1日9レース制で再現する形で設定されている[注釈 2](ゲーム上の競馬施行団体は「SRA」という架空の団体。これはSonobe Racing Associationの略称)。登場する競走馬や人物の名前については種牡馬は第1作目から実名だが繁殖牝馬は仮名、競走馬も『III』までは全てが仮名、騎手も『96』を除く『99』までは仮名となっている。仮名となっている馬や人物のほとんどは現実世界において対応するモデル馬・モデル騎手などが存在し、攻略本などで紹介されている。

レーシングプログラム、発売馬券などは発売当時の最新のJRAの規定に合わせている。レースのファンファーレは『96』からJRAで使用されている本物の中央競馬のファンファーレを使用している。BGMは松前真奈美が『ベスト競馬』『全国版』『II』『III』『EX』『96』『98』、PS版『ダビスタ』、SS版『ダビスタ』、『99』『アドバンス』において担当している。

ファイナルファンタジーシリーズチョコボを育ててレースを行う、ダービースタリオンのチョコボ版『チョコボスタリオン』も発売された。
特徴
シンプルなシステム

同世代の他の競馬シミュレーションゲームのシリーズ(『ウイニングポスト』や『クラシックロード』)がパソコンゲームからスタートしたのに対して本作はファミコン用ゲームからスタートしている。またゲーム内容についても他のゲームシリーズとは大きく異なり、非常にシンプルなゲームシステムを特徴としている。例えば他の多くのゲームにおいてはプレイヤーの所有馬に限らず登場する全ての馬や騎手・調教師にそれぞれ馬主や所属厩舎や年齢などの個別データが設定されており、それがゲームの進行とともにそれぞれ変遷(死亡や引退、代替わりなど)してゆくことで箱庭的なヴァーチャル世界が形成されている。これに対して本作の場合はプレイヤーの所有馬以外には馬主や厩舎の個別データ設定が存在せず、またゲームの進行に応じてそれらが変化することもない。したがって同じライバル競走馬や繁殖牝馬が数年おきに同じ能力で繰り返し登場し、種牡馬や騎手・調教師にも死亡・引退がない。
「最強馬育成」競争とダビスタブーム

「ブリーダーズカップ (BC)」モードが導入されて以降、他のプレイヤーが生産・調教した競走馬と能力を競う公式・非公式の大会が各所で開かれるようになり、これらの大会で良い成績をあげる「最強馬」を作ることを目指すプレイヤーが数多く出現した。これらの大会で好成績を収めるためのレベルも年々上昇した。

1990年代中頃にその人気は全盛期を迎え「ダビスタブーム」とも言える状況となる。当時は亀谷敬正など「ダビスタの馬の生産(及び生産理論に関する原稿執筆など)だけで飯を食う」事実上のプロゲーマーが複数現れたほどである。競馬雑誌でも同じアスキーの「サラブレ」を始めとして多くの雑誌がダビスタの連載ページを設け、しまいにはダビスタ専門誌「ダビスタマガジン」(メディアファクトリー)が創刊されたことからも当時の人気ぶりがうかがえる。一方で、当時とどまるところを知らなかった最強馬育成を巡る競争や論争の激化の中で生産方法・プレイ思考の相違が生じ、最強馬育成を目指すユーザーの中でも同じ価値観で遊べる楽しみ方が模索されるようになっていった。

ある時に現役騎手がコメントで「この馬はナスルーラのクロスがあって、気性が悪いから」とシリーズの受け売りのような発言を行うなど、このシリーズの影響は競馬界内部にも及んでいる[1]

また全盛期には、「種付け無料の種牡馬の産駒限定の最強馬決定戦」「最弱馬生産を目指す」などの特殊な遊び方も数多く考案され、たとえば「サラブレ」誌上では須田鷹雄らによって最弱馬育成企画が大々的に展開された(その模様は「もうひとつのダビスタワールド」(アスペクト)として書籍化された)。

ただ、このようなブームも1990年代終盤になると徐々に下降局面に入り、数年も経たぬ内に競馬雑誌のダビスタ関連の記事や連載ページも消滅し、折からの出版不況も重なって競馬雑誌自体も多くが姿を消した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:58 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef