ダーティ・ダンシング
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ダーティ・ダンシング
Dirty Dancing

監督エミール・アルドリーノ
脚本エレノア・バーグスタイン
製作リンダ・ゴットリーブ
製作総指揮ミッチェル・キャノルド
スティーヴン・ルーサー
出演者ジェニファー・グレイ
パトリック・スウェイジ
ジェリー・オーバック
シンシア・ローズ
音楽ダニー・ゴールドバーグ
マイケル・ロイド
撮影ジェフ・ジャー
編集ピーター・C・フランク
配給 ベストロン・ピクチャーズ
ベストロン映画
公開 1987年8月21日
1987年11月21日
上映時間101分
製作国 アメリカ合衆国
言語英語
製作費$6,000,000[1]
興行収入$213,954,274[1]
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『ダーティ・ダンシング』(Dirty Dancing)は、1987年アメリカ合衆国製作の青春恋愛映画。エレノア・バーグスタイン脚本、エミール・アルドリーノ監督、ジェニファー・グレイパトリック・スウェイジシンシア・ローズジェリー・オーバック出演による。家族と共に夏休みを過ごすティーンエイジャーの女の子が、父に逆らってダンスのインストラクターと恋に落ちるという内容である。映画のほぼ3分の1を占めるのが、『ハイスクール・ミュージカル』でも有名なケニー・オルテガ振付によるダンス・シーンで、映画ラストは「映画史上、最も鳥肌だつダンス・シーン」として知られている[2][3]

当初は、新しいスタジオであるグレート・アメリカン・フィルムズ合資会社が[4]、すでにブロードウエイで活躍していたオーバックを除いて無名俳優による出演で撮影した低予算映画であったが大ヒットし、2009年までに世界で2億1,400万ドル以上をあげた[5]。ホームビデオとしても100万部以上売れた初めての作品であり[5]ジミー・アイナーエグゼクティブ・プロデューサーを務めるサウンドトラックから『Dirty Dancing』など2枚のアルバムがプラチナディスクを獲得し、その中の『タイム・オブ・マイ・ライフ』((I've Had) The Time of My Life)はゴールデングローブ賞アカデミー歌曲賞グラミー賞最優秀ポップ・デュオ/グループ・パフォーマンス賞を受賞した[6]。この映画を基に、2004年にはリブート版『ダンシング・ハバナ』が製作され、オーストラリア、ヨーロッパ、北アメリカで上演された舞台版はチケットが完売した。

2011年、振付を担当したケニー・オルテガ監督によるリメイク版が製作されることが発表された[7]。しかし2012年6月8日、ライオンズゲートは出演者の都合により早くても2014年になるとして製作の延期を発表した。2015年2月、劇場映画ではなくテレビ映画として予定されたが[8]、2015年7月、公式にキャンセルとなった[9]

2009年からノースカロライナ州レイク・ルーアにてダーティ・ダンシング・フェスティバルが開催されている[10]
あらすじ

1963年の夏、17歳のニューヨーカー、ベイビーことフランシス・ハウスマン(ジェニファー・グレイ)は、裕福なユダヤ系アメリカ人家族と一緒にキャッツキル山地にあるケラーマン[11][12]の家族向けリゾートに避暑にやってくる。2人姉妹の妹であるベイビーはマウント・ホリヨーク大学に進学して開発途上国の経済学を学び、平和部隊ボランティアに取り組む予定だった。彼女の名は合衆国内閣初の女性閣僚フランシス・パーキンスにちなんでつけられた。彼女の父ジェイク(ジェリー・オーバック)は、リゾートのオーナー、マックス・ケラーマン(ジャック・ウェストン)の担当医で友人である。ベイビーはマックスの生意気な孫ニール(ロニー・プライス)と友達になる。

滞在中ベイビーはリゾートでダンスのインストラクターを務める、労働者階級のエンタテイメント・スタッフのリーダーであるジョニー・キャッスル(パトリック・スウェイジ)に夢中になる。リゾートを散歩中ベイビーはジョニーの優しいいとこのビリーと偶然会い、彼がスイカを従業員控室に運ぶのを手伝う。そこで彼らのシークレット・パーティーと彼らが踊る「ダーティ・ダンシング」つまりマンボを初めて目にする[13]。このダンスに興味を持ったベイビーはジョニーに即興でダンスを教わる。

その後ベイビーは、ジョニーのダンス・パートナー、ペニー・ジョンソン(シンシア・ローズ)がロビー・グールド(マックス・カンター)の子を妊娠して取り乱す場面に出くわす。ロビーは女たらしのウェイターで、ベイビーの姉リサ(ジェーン・ブラッカー)にも近づいていた。ロビーの「大事にされる人もいれば、されない人もいる(Some people count, some people don't.)」という言葉で、彼が妊娠に責任を持つつもりがないことを知ったベイビーは、ペニーの違法中絶手術の費用を父に出してもらおうとする。ベイビーは金銭の使途を秘密にして父は最初は渋るがベイビーを信用して結局与える。彼らを助けようとベイビーは、ジョニーとペニーが近隣リゾートのシェルドレイクで毎年取り組んできた重要なパフォーマンスでペニーの代役を務めることになる。ジョニーからダンスを教わるうち、ベイビーの雰囲気も変わり、恋が芽生える。シェルドレイクでの彼らのパフォーマンスはほぼ成功に終わったが、ベイビーはまだダンスのクライマックスでのリフトを怖がっており、その部分は完成していなかった。

ケラーマンのリゾートに戻ると、ペニーのヤミ中絶手術が失敗し、ペニーが痛みに苦しんでいることを知る。ベイビーは父に助けを求めるが、ジョニーがペニーの責任を持つと語ったことから父はペニーを妊娠させたのがジョニーだと勘違いする。ペニーの治療は成功するが、父はベイビーが信用を裏切ったことに激怒し、ジョニーやその友人たちと一切関わるなと命ずる。しかしベイビーはその夜、父の言いつけに背き彼の部屋に会いに行き、親密なダンスを踊り一夜を共にする。ジョニーとベイビーの関係は続くが、父に交際を伝えることができず口論となる。ベイビーが彼に会いに行きすぐに仲直りするが、これをロビーが目撃してベイビーを侮辱する。ジョニーは怒り、彼を殴る。

ジョニーはリゾート客モー・プレスマンの財布を盗んだという嫌疑をかけられ、アリバイが証明できない。彼のクビを防ぐためベイビーは、その夜自分がジョニーと一緒にキャビンにおり、彼が犯人ではありえないと証言する。シュマッカー夫妻がプレスマンの財布を盗んだことが明らかになり、ジョニーの窃盗容疑は晴れる。しかし客であるベイビーと関係を持ったために結局クビにされる。しかしベイビー の献身的な行為に、ジョニーは「たとえ何を犠牲にしてでも、他人を助けようとする意志を持つ人々が存在する」ことを理解する[14]

最後のタレント・ショーで父はロビーに医大の学費の足しに小切手を渡そうとすると、ロビーはペニーを妊娠させたことを軽く謝罪し彼女を侮辱し、父は怒って小切手を奪い返す。クビになったにも関わらず、シーズンの最後のダンスをベイビーと踊るためにジョニーがリゾートに戻ってきて皆を驚かせる。ベイビーの席を決めたハウスマン家を批判して、この映画で最も有名なセリフ「誰もベイビーを離したりしないさ(Nobody puts Baby in a corner. )」を口にし、ジョニーは家族のテーブルからベイビーを引っ張り出して舞台へ連れて行き、すでに始まっていた演目を中断させる。ジョニーは「フランシス」(ベイビー)がいかに自分を向上させたかを語り、『タイム・オブ・マイ・ライフ』でのジョニーとベイビーのダンスが観客を魅了し、ベイビーは恐れを克服してジョニーが彼女を空中に高くリフトして初めて成功する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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